1538/1000 打吹公園(鳥取県倉吉市)

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倉吉市のシンボルと言える打吹山の打吹(うつぶき)公園は、1904年(明治37年)に当時皇太子だった大正天皇の行幸を記念して開かれた公園です。
打吹山は室町時代には伯耆国の中心として打吹城が置かれたところですが、江戸時代初めに廃城となって300年後に公園となったものですので、公園にも城跡の色はそれほど強くありません。

公園の麓にある小学校の壁画と、後ろにそびえる打吹山の景色は、倉吉の定番スポットになっています。

1537/1000 湖山池オアシスパーク:湖山池公園(鳥取県鳥取市)

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湖山池公園は、鳥取市にある湖山池という巨大な潟湖の周囲に設けられた公園です。
都市計画上は湖山池の水面まですべてが公園区域になっており、計画決定面積684.7haは、市町村の公園としては上位18番目あたりに当てはまります。

1536/1000 石見第2児童公園(奈良県三宅町)

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石見第2児童公園は、No.1535 石見児童公園から東へ400メートルほど離れ、三宅町と隣の田原本町との町界となる寺川に近いところに設置された狭小公園です。面積は、ざっくり100平米くらいしかなさそうです。

寺川に架かる橋に向かって道路が坂道になっている場所の崖下で、位置的には橋詰広場ですが、園内から橋はまったく見えません。

1535/1000 石見児童公園(奈良県三宅町)

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石見(いわみ)児童公園は、近鉄橿原線の石見駅から200メートルほど離れたところにある小公園です。
駅前の石見地区は環濠集落の形を残す古い集落のようで、集落内はけっこう建て込んでいるのですが、公園は集落の外れにあって広々としています。

1534/1000 狐川沿い西品治の三角公園(鳥取県鳥取市)

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この公園はNo.1531 南町公園と同じ狐川沿いに、300メートルほど下流に離れたところにあります。現地には園名板がなくて公園名がわからなかったので、とりあえず所在の町名から西品治(にしほんじ)の三角公園と呼びます。
下写真で右側の細道の横に狐川が流れています。

1533/1000 湖山南公園(鳥取県鳥取市)

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さて本日の湖山南公園ですが、じつはブログ作者が通った大学と目と鼻の先にある小公園です。しかし学生時代にはその存在をまったく知りませんでした。
「もしかして卒業してから開園したのでは?」と思って手元の資料をめくってみると、開園は1990年(平成2年)。まさに在学中です。

1532/1000 寿公園(鳥取県鳥取市)

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寿公園は、鳥取市寿町の住宅地の中にある小公園です。そして、本ブログではたびたび登場している「鳥取市街地の奥まった公園」に分類される、間口が狭く奥行きの深い小公園です。
下写真の左側、以前は住戸だったと思われる場所が駐車場になっているために少し広く見えますが、真ん中の緑色のフェンスに挟まれた部分が公園のエントランスです。

1531/1000 南町公園(鳥取県鳥取市)

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鳥取市の南町は、旧袋川と狐川という2本の小河川に挟まれた細長い町で、古くからの住宅や寺院が多い地区です。
そんな南町にある南町公園は、狐川に張り付いた小さな公園です。

1530/1000 行徳緑地(鳥取県鳥取市)

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No.1529 行徳公園から100メートルほど離れたところに、行徳緑地があります。
資料によっては「第5号行徳緑地」と書かれているものもあって、番号が付いているのは鳥取市の都市計画に定められた都市計画緑地だからではないかと思います。

名前は緑地ですが、施設は広場、遊具、東屋、駐車場などが揃っており、あまり緑地っぽくはありません。

1529/1000 行徳公園(鳥取県鳥取市)

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鳥取市の行徳はJR鳥取駅の西北にある町で、駅からの距離は500~1kmほどですが、低層建物が多い古い住宅地になっています。
鳥取市の中心市街地は1943年(昭和18年)の鳥取地震、1952年(昭和27年)の鳥取大火で大きな被害を受け、その後に整った町割りに改良されているのですが、行徳付近はその範囲に入っていないのか、昔ながらのグネグネした道が多い町割りになっています。

そんな地区にあり、さらに奥まったところに公園をつくるのが得意な鳥取市の公園配置政策もあって、通りを行き交っているうちはまず見つけられない場所にあるのが行徳公園です。

1528/1000 幸町棒鼻公園(鳥取県鳥取市)

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名前が気になる幸町棒鼻公園。まぁ「幸町」が現在の町名、「棒鼻」が町名変更以前の字名・地名であることは想像がつきます。

1527/1000 三保命山(静岡市清水区)

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このところ静岡市の公園内にある津波避難タワーを何件か紹介しましたが、それとは別に、津波避難目的の盛土山単独施設として築かれたのが、この三保命山です。
No.811 湊命山が走りだと思うのですが、土地と土砂があれば、タワーよりも安く整備・管理ができるので、最近は事例が増えてきています。

1526/1000 大浜公園と西島緑地(静岡市駿河区)

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静岡市の大浜公園は、安倍川の河口にほど近い海岸沿いにあり、松林の中に大きなプールがあることで有名な公園です。
このスライダーなんか、園路の方まではみ出してくる巨大サイズです。

1525/1000 折戸潮彩公園(静岡市清水区)

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折戸潮彩公園は、静岡市の清水港に面したところにある港湾緑地です。
地元の方々や学生たちを交えたワークショップで計画が検討され、2016年に開園したばかりの新しい公園です。

1524/1000 折戸中央公園(静岡市清水区)

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折戸中央公園は、No.1520 三保ふれあい広場の会に登場した旧国鉄・清水港線の折戸駅があった付近に設けられている公園です。
あたりは公園と廃線敷を活かした緑道、公営住宅の緑地などが混然としており、正確にどこまでが折戸中央公園なのかはよくわかりません。

1523/1000 三保白浜公園(静岡市清水区)

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三保白浜公園は、No.1522 三保砂原公園と同じ住宅地の中にある小公園です。
いかにも区画整理のへた地といった感がある三角地で、あまり使い勝手の良い敷地形状ではありません。

1522/1000 三保砂原公園(静岡市清水区)

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三保砂原公園は、富士山を眺める景勝地として有名な「三保の松原」がある清水区三保の住宅地にある小公園です。
松原と砂原では字面から受ける印象が違いますが、松が生えるのは海岸の砂地なので、だいたい同じことを言っていると受け取ります。

1521/1000 清水富士見台公園(静岡市清水区)

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富士山を眺めることができる(できた)場所が富士見と名乗る地名は各地にありますが、三保の松原のある三保半島の付け根にも「富士見台」という名の付いた狭小公園がありました。

ただしこの公園、富士見台と名乗る割には海岸まで200メートルほどしかない海抜2.2メートルのところにあって、あまり「台」な印象はありません。
そして、下の写真の真ん中の方向に富士山があるはずなのですが、園内からでは見ることができませんでした。

1520/1000 三保ふれあい広場(静岡市清水区)

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三保ふれあい広場は、富士山を眺める景勝地として有名な三保の松原がある三保半島にある公園です。
公園の周りには工場が多いのですが、これら工場に向けた貨物輸送を担っていた旧国鉄・清水港線が1984年(昭和59年)に廃止された後に、終着の三保駅跡地を公園としたものです。

1519/1000 高松長寿公園(静岡市駿河区)

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静岡市駿河区の高松地区を歩いていて見つけたのが、この高松長寿公園。
公民館の裏手に回った路地奥にあるのですが、この路地に面してお社もあって、いろいろな意味でこの地区の拠点となっている一角と言えます。

面積は330平米あって、本ブログで狭小公園に区分する300平米は上回っているものの、かなり狭い敷地です。下の写真に写っているのでほぼ全体で、左に見える白い建物が公民館、奥に見えるのがお社で、どちらも公園の外にあたります。

1518/1000 高松南公園(静岡市駿河区)

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高松南公園は、静岡市の南部、大谷川(おおやがわ)放水路の河口近くにある小公園です。国道を挟んですぐ海という場所にあるためか、なんとなくトロピカルな複合遊具が置かれています。

1517/1000 浜久保公園(静岡市駿河区)

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浜久保公園は、静岡市駿河区の海岸沿いの国道を通っているときに見つけた小公園です。
国道が高い橋になっているところから見下ろしたため、実際に公園に近づくことはできなかったのですが、富士山を背景にした姿が目についたので記録。

1516/1000 塩田公園(静岡市駿河区)

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塩田(しおだ)公園は、静岡市駿河区の海岸にほど近い低層住宅地の中にある小公園で、No.1514 松風公園から西へ100メートルほど離れたところにあります。
何事もなければNo.1514 と同じように「住宅地の中で古いなりに頑張っている児童公園」という存在になっていたのでしょうが、2011年(平成23年)の東日本大震災が、この公園の運命を大きく動かしました。

その結果が、この津波避難タワーです。

1515/1000 浜川公園(静岡市駿河区)

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浜川公園は、静岡市駿河区の海岸にほど近い低層住宅地の外れにある小公園で、No.1514 松風公園から50メートルほどしか離れていないところにあります。

1514/1000 松風公園(静岡市駿河区)

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松風公園は、静岡市駿河区の海岸にほど近い低層住宅地の中にある小公園です。
三方を道路に囲まれた三角公園で、区画整理地によくある形状といえます。

1513/1000 小篠原公園(滋賀県野洲市)

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野洲市の小篠原地区の中心地は、かつての中山道沿いに発達した地区です。旧街道沿いに立ち並ぶ家々には、今も往時を偲ばせるものがあります。

1512/1000 南小田公園(川崎市川崎区)

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No.1510 小田公園よりは北にありますが、名前は南小田公園。街区の中を貫く細長い公園です。
商店街に面した東側の出入口は、飛び出し防止の意味もあってか、まず花壇やクスノキの植栽などがあり、城の虎口のように曲げた園路を通ってから広場があります。

1511/1000 京町3丁目の公園(川崎市川崎区)

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川崎市の最南部、横浜市鶴見区との境界には、かつて明治末から大正にかけて開削された川崎運河があったそうです。この運河の両岸は工場用地として分譲したものの完売せず、昭和に入ってから住宅地に転用されて、今の京町の住宅地が生まれたそうです。
そんな京町の3丁目は、No.1510 小田公園の西に隣接する市営住宅の建ち並ぶ地区なのですが、その市営住宅の周りに小規模な公園がいくつか設置されているので、まとめて記録します。

1番目は「京町ももたろう公園」。これと言った公園施設はなく、ほぼ土敷きの広場のみというシンプルな構成です。
広場の大きさは30m×30mくらいで、ゲートボール一面分くらいサイズです。

1510/1000 小田公園(川崎市川崎区)

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川崎市の最南部、JR南武線と鶴見線、京急本線に囲まれたあたりは、江戸時代の新田開発で生まれた土地だそうです。大正時代になって臨海部に大工場ができたことから隣接の住宅地区として都市化が進み、1927年(昭和2年)に川崎市に編入されました。
そんな経緯を持つ地区なので、町名も浅田、小田、池田、渡田などが並びます。そのうちの小田にあるのが小田公園です。

この公園では数年かけて全面改修が続けられており、私が訪れた時も敷地北半分を占める野球場の周りは工事中でした。そこで南半分の遊び場を中心にサラッと記録します。

1509/1000 桜川公園(川崎市川崎区)

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桜川公園はNo.1507 桜本公園1508 中留公園と同じ桜本エリアにあり、約2.8ヘクタールの広さを持つ、エリアを代表する規模の公園です。
現状では、敷地は一般道や住宅を挟んで3つに分割されており、軟式野球場(桜川球場)のあるメインブロック、隣接する児童公園仕立てのブロック、50メートルほど離れて広場中心のブロックとがあります。

メインブロックは、野球場と、以前は交通公園になっていた現・芝生広場の区域とに大別できます。
野球場は両翼90メートルくらいで、外野は天然芝、内野は人工芝になっています。

1508/1000 中留公園(川崎市川崎区)

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中留公園は、No.1507 桜本公園から200メートルほど離れたところにある小公園です。
市立中学校と朝鮮学校に挟まれた立地にありますが、どちらの学校ともとくに繋がっている感じはしません。

日輪が輝く公園門をくぐって園内に入ると、敷地の半分くらいが土敷きの広場、もう半分くらいが築山の林になっています。

1507/1000 桜本公園(川崎市川崎区)

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川崎市の臨海部には、戦前から日本鋼管(現・JFEスチール)や浅野セメント(現・デイシイ)などの巨大な工場があり、ここに隣接して労働者の街が形成されてきました。とくに桜本公園がある桜本、隣接の大島、浜町、池上町といった一角には朝鮮半島出身の人が集まったコリアタウンが形成され、今も所々にコリアン風味が垣間見られる下町の住宅地といった風景になっています。
そんな桜本の桜本公園ですが、園内にはとくにコリアン風味はありません。

敷地は通りに面して小さな間口が開き、奥に入るとガバッと広くなるという旗竿型の形状をしています。ただし、奥の方は行き止まりではなく、人ひとり通れるだけの路地に抜けることもできるようになっています。

奥の方の旗部は、住宅や工場に囲まれているものの、それほど閉鎖的な雰囲気ではありません。
広場を中心において、竿と旗の繋ぎ目部分に広場を取って、旗部の半分くらいは遊具広場仕立てになっています。

遊具は、ブランコ、滑り台、砂場という「児童公園三種の神器」に加えて、ジャングルジム系統が充実しています。

まずオーソドックスな凸型のジャングルジム。
フレームは濃い茶系、継ぎ手は黄色に塗り分けられ、メリハリの効いた配色になっています。

続いて飛行機型のジャングルジム。
座席に座って操縦することもできますし、両主翼は雲梯、

最後尾から脱出シュートのようなパイプ式滑り台が出ているほか、尾翼も小さな雲梯のようになっています。しかし中間の棒が少なすぎるので、雲梯ではなくよじ登ったりぶら下がったりして遊ぶパーツなのかと思います。

そしてもう一つ、球形のジャングルジムとラダー遊具が組み合わさった遊具。
なんとなくビンゴマシーンを思い浮かべるデザインです。

ほかではあまり見たことがない形状ですが、登ったり下りたりだけではなく、高鬼でも人気が出そうです。

道の奥に隠れているのがもったいない桜本公園でした。

(2017年1月訪問)

1506/1000 冥加公園(川崎市川崎区)

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由来は知りませんが、なんとなく有難い名前の冥加公園。
No.1505 観音町公園で登場した観音堂から200メートルくらいしか離れていませんので、観音様の冥加(ご加護)が届いているのかも知れません。

その姿は、敷地の西半分くらいがサクラの多い園地、東半分くらいが土敷きの広場になっており、広場の一角に滑り台やブランコなどの遊具がまとまって設置されています。

1505/1000 観音町公園(川崎市川崎区)

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No.1497 大師公園から南へ500メートルほど離れた住宅地の中に江戸時代初期から伝わる観音堂があり、その隣に観音町公園があります。
西・南の2辺が道路に接しており、そこには高木植栽しかないため、非常に見通しがよい構造になっています。周囲の道路は決して交通量が少ない方ではないので、少し危なっかしく感じるほどの開放感です。

1504/1000 東町公園(川崎市川崎区)

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東町公園は、京急川崎駅前の業務ビルが多い一角にある小公園です。
いわゆる川崎堀之内の一角ではありますが、夜に賑わう通りからは少し離れて表通りに面していることもあり、No.348 吉原公園ほどのハラハラ感はありません。
京急大師線の踏切に面しており、京急本線の高架を行き交う列車もよく見えるところにあります。

1503/1000 稲毛公園(川崎市川崎区)

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首都圏で「稲毛」というと千葉市の稲毛海浜公園が有名ですが、こちらは川崎駅から徒歩5分、川崎市役所からも1ブロックだけ離れた第一京浜沿いの稲毛公園です。
すぐ横には武甕槌神を祭る稲毛神社がありますので(下写真の右奥)、公園名はそこから取られたものと思われます。

大きな交差点の角地にあるため、全体的に通り抜けがし易い広場型の構造になっています。
下写真は第一京浜をまたぐ歩道橋の上、だいたいの利用者が園内を斜めに横切って行く様子を撮影したもの。

立地が良い広場型公園ということで、園内には色々な記念碑・モニュメントが造られています。
まず、水が抜けているので非常にわかりにくいですが、由緒ある弁天池を偲ばせるという池。経緯からして、修景や遊び場を目的とするものではなくモニュメントの類だと判断しました。
●現地の解説板より「弁天池(河崎冠者基家居館堀跡)」
河崎冠者基家は坂東平氏の雄、秩父十郎武綱の子で、平安時代にこの地に移り住み荘園を開いて、その子重家との二代にわたってこの地を領したと言われています。
その居館の跡とも推定されるのがこのあたりです。
当時の荘園領主は、その居館の周囲に堀をめぐらせました。かつて、ここから第一国道に沿って小堤をともなった小川が流れていましたが、このあたりの地名を「堀之内」と言うことからも、それは堀の遺構ではなかったのかと言われています。
また、平氏はその氏神、山王権現をまつるのが常でした。稲毛神社は古名を武甕槌宮と言い、景行天皇とのゆかりを伝える川崎市屈指の古社ですが、慶応四年までは「河崎山王社」と呼ばれていました。
かつては、その小川に接して大きな神池(弁天池)があり、その中の島に和嶋弁財天がまつられており、四季折々に参詣来遊するものが多かったと言います。また、江戸時代にはこの池と小川を利用して「曲水の宴」が開かれておりました。その弁財天と曲水宴の歌碑二基は今も稲毛神社の境内にあって、当時の川崎の文化水準の高さを伝えています。
残念ながら、この池と小川は昭和20年代に第一国道拡張の際に埋め立てられ、その後は、小川をせきとめて造った小さな弁天池だけが残されていました。
今回、稲毛公園改修にあたり近代的な公園にふさわしい姿に造りかえられましたが、この池は、川崎の発祥とも言うべき川崎市居館の堀跡と、宿場時代の町民の優雅な暮らしぶりを今に伝えるものです。

こちらは、1キロほど離れた多摩川に架かっていた旧・六郷橋の親柱。
1925年(大正14年)から1984年(昭和59年)まで使われていたもので、架替後しばらくは倉庫に保管されていたそうですが、2002年(平成14年)に園内に移築されたものです。

ただ、設置場所が公園の隅の方を柵で切り取ったような空間の入口になっているため、親柱というよりは、普通の門柱のように見えてしまいます。

こちらは初代川崎市長を務めた石井泰介(1865~1931)の顕彰碑。
「遺芳千秋」と題されていますが、碑文は漢文のうえ、直近には近寄れないため内容までは読み取れませんでした。
あとで調べてみると、旧・川崎町長から市制施行の際の初代市長に就任し、工場誘致、道路整備などに尽力し、産業都市の基盤を気づいた人物だそうです。
●現地の解説板より「移築の由来」
川崎市初代市長石井泰助大人頌徳碑は、昭和18年6月市内旭町の徳泉寺境内に大人の徳を慕う者によって建設せられ、戦災にも大した損傷なくよく保存されていたが、昭和39年市政施行40周年に当り、これを機会に一層顕彰の実をあげるため大人にゆかりある土地であり戦後公共広場として整備されたこの稲毛児童公園の地域を○○地として選定しここに移築したのである

昭和40年7月

こちらは地球の周りをハトが羽ばたく「平和の塔」です。

裏面には、なにかを引っ剥がしたような跡が残っていました。

水の止まった壁泉の上にも、モニュメントが載っています。
よく見てください。

中央やや右、クスノキの葉陰に隠れるように、踊る少年少女の像がありました。
「見つけたら幸せになれる」という都市伝説でも生まれそうなくらいの目立たなさです。

色々な思いの詰め込まれようを見ると、こここそが川崎区の中央公園なのではと思わせる稲毛公園でした。

(2017年1月訪問)