日本1000公園

日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2017年9月23日

1593/1000 御幸公園(奈良県王寺町)

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御幸(みゆき)公園は、JR王寺駅の北に連なる住宅地の中にある古い小公園です。
公園そのものが極端に古びているわけではないのですが、公園に面している周りの住宅のトタン塀が古さ感に拍車をかけてきます。

2017年9月22日

1592/1000 王寺西公園(奈良県王寺町)

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王子駅南口から、No.1591の王寺東公園とは反対側、西へ徒歩5分ほどのところにあるのが王寺西公園です。東公園よりも一回り小さいくらいの児童公園仕立てになっていて、程よい小ぢんまりさが感じられます。

基本的な構造はNo.1591と似ているところがあって、エントランス部分は石張りの広場、残りが土敷きの広場になっています。
ただ、No.1591はエントランス部分に沈み込むような形のスペースがありましたが、こちらの西公園は盛り上がるような形のスペースがあって、そこが座り込むのに丁度よいようになっています。

2017年9月21日

1591/1000 王寺東公園(奈良県王寺町)

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奈良県の王寺駅は、JRと近鉄が繋がるターミナル駅です。
JRであれば大阪の天王寺駅から20分の位置にあり、通勤・通学に便利な町ということで、多くの新興住宅地の最寄り駅となっています。
ただ、蛇行する大和川が駅を取り囲むように流れているため、新興住宅地は駅から数百メートル離れたところから始まっており、駅直近は意外に昔風の街なみが残っていたりもします。

王寺東公園は、そんな王寺駅南口から東へ2~3分歩いたところにある小公園です。

2017年9月20日

1590/1000 つるみ児童遊園(大阪市鶴見区)

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大阪市鶴見区にある、つるみ児童遊園は、一口で言うと風呂屋の裏にある小公園です。

2017年9月19日

1589/1000 南今福北公園(大阪市城東区)

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No.1588 南今福公園から北に100メートルほど離れ、市営住宅と元・鯰江川の道路との間に挟まれた細長い敷地に南今福北公園があります。
ざっくりと幅20メートル、長さが80メートルくらいですが、中央がパーゴラで仕切られていて、片方が遊具広場、片方がゲートボールなどのできる土敷きの広場にきれいに分かれています。

2017年9月18日

1588/1000 南今福公園(大阪市城東区)

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寝屋川と城北川とが分かれるあたりに府営・市営の今福南住宅があり、この中に南今福公園があります。
周りの住宅が1970年代風なので、公園も同じ頃に開かれたのかと思いましたが、園名標柱には「昭和19年2月竣工」と刻まれており、けっこう古株の公園だということがわかります。

2017年9月17日

1587/1000 中今福公園(大阪市城東区)

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中今福公園は、No.1586 西今福公園から旧街道沿いに200メートルほど東に進んだところにあります。敷地は、街道に面して小さな間口が開き、奥がぐっと広くなった旗竿側の形状をしています。

2017年9月16日

1586/1000 西今福公園(大阪市城東区)

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西今福公園は、大阪市城東区の住宅地の中にある小公園です。
公園の直近には新しい大型マンションが建っていますが、付近では元々は寝屋川の堤上を街道が通っており、少し歩けば古い町並みも残っています。

2017年9月15日

1585/1000 三屋道公園(神奈川県藤沢市)

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三屋道公園は、No.1579 犬久保公園と同じ住宅地の中にある小公園です。
公園の入口付近には、周辺の住宅開発に伴って、それ以前からあった道祖神が移築されていました。
道祖神がお祀りされているということはどこかへ通じる道があったわけで、おそらくそれが「三屋」という土地へ通じる「三屋道」だったのではないかと思います。三屋がどこなのかは、まったく知りませんが。
●現地の碑文より
藤沢都市計画事業六会東部土地区画整理事業の為、亀井野字犬久保1723番地新庄の道祖神を復建移築安置せり

昭和51年1月14日建立 亀井野中組講中

2017年9月14日

1584/1000 地神の森公園(神奈川県藤沢市)

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藤沢市の内陸部では、JR藤沢駅から北へ延びる小田急江ノ島線沿いの丘陵地が住宅地として開発されています。
そんな住宅地の中にあって、それ以前の地形や農村の信仰を伝える神社の境内を公園としているのが、地神の森(ちじんのもり)公園です。

2017年9月13日

1583/1000 栄町公園(兵庫県三木市)

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栄町公園は、No.1582 三木鉄道記念公園の道向かいにある小公園です。
おそらく、No.1582がまだ駅だった頃から存在すると思われ、「栄町」という町名に、かつて駅前が賑わっていた時代を想像します。

2017年9月12日

1582/1000 三木鉄道記念公園(兵庫県三木市)

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この公園があるのは、かつては国鉄三木(みき)線、後に第三セクターの三木鉄道の三木駅があった場所です。大正時代から約90年に渡って駅として続いていましたが、路線そのものが2008年(平成20年)に全線廃止となり、その2年後に駅跡が鉄道の名残を残す公園として生まれ変わりました。

2017年9月11日

1581/1000 天下茶屋公園(大阪市西成区)

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No.1580は豊臣秀吉に攻め滅ぼされた三木城を訪ねましたが、今回は天下人となった秀吉が茶を喫したことに因むという天下茶屋の公園です。
もともと「天下茶屋」と呼ばれた茶屋は公園から250メートルほど下がったところ、No.1570で登場した天神ノ森天満宮の目の前にあるのですが、こちらの公園も名前を借りただけではなく、それなりに由緒正しい場所であるようです。

それは、この公園がある場所に、秀吉の時代から少し下がって江戸時代の始めに開業した「是斎屋」という薬屋が、店先で薬湯を試飲させて評判となり、両方が天下茶屋として並び立っていたそうです。
西成区HPより「是斎屋跡」
現在の天下茶屋公園が是斎屋の跡であり、公園東口の横に石碑が立っている。薬屋是斎屋は寛永年間(1624 - 44)近江の国の津田宗右衛門が住吉街道に面した当地へ来て「和中散」という薬を商ったのが起こりで、街道の旅人達で大いに繁盛したという。また茶屋としても有名であった。

2017年9月10日

1580/1000 三木城跡上の丸公園(兵庫県三木市)

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三木上の丸公園は、羽柴秀吉による2年間の兵糧攻めで城攻めで有名な三木城跡の中心部を公園としたものです。現在、城跡全体からすると公共施設や神社として使われている部分が広いのですが、地形そのものはよく残っていると見受けられ、なんとなく曲輪の形などもわかるようになっています。

2017年9月9日

1579/1000 犬久保公園(神奈川県藤沢市)

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「犬公方」と呼ばれたのは徳川5代将軍・綱吉ですが、ここは犬久保公園。たぶん綱吉とは関係ありません。
小田急・六会日大前駅から少し東に離れた住宅地の中にある小公園で、隣には保育園があります。

2017年9月8日

1578/1000 六会駅前公園(神奈川県藤沢市)

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小田急江ノ島線の六会(むつあい)日大前駅から東へ150メートルほど離れたところに、六会駅前公園があります。本ブログでは、駅出口に直結しているような公園をいくつも訪ねていますので、150メートルも離れて「駅前」を名乗るのはどうかと思うところもあるのですが、それはさておき。

小ぶりな野球場のような変形五角形の敷地をしており、外周部は大きく育ったケヤキやサクラなどに囲まれています。

2017年9月7日

1577/1000 渋谷6号公園(神奈川県大和市)

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東京の渋谷駅から電車で1時間。本家・渋谷の地である高座渋谷の住宅地にある小公園を訪ねるシリーズの最終回(第1回第2回第3回はこちら)。まだ4回目なのに6号で、これが最終回なのですが、下調べもなく適当に歩いているので仕方ありません。

駅からは200メートルほど離れ、イオンの商業施設の南側に道一本隔てて隣接しているため、昼も夜も人が溜まりそうな立地です。
実際、私が訪れた早朝の時間帯に、酔っ払って夜を明かした風な若者が何人かベンチで寝ていたので、写真は少なめです。

2017年9月6日

1576/1000 渋谷3号公園(神奈川県大和市)

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東京の渋谷駅から電車で1時間。本家・渋谷の地である高座渋谷の住宅地にある小公園を訪ねる第3回(第1回第2回はこちら)。
渋谷3号公園は、駅前のロータリーから100メートルほどの場所にあり、1号~3号の中では一番駅近にあたります。

長方形の敷地の大半を広場にして、遊具を一つの角に集めているという構造になっています。

2017年9月5日

1575/1000 渋谷2号公園(神奈川県大和市)

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東京の渋谷駅から電車で1時間。本家・渋谷の地である高座渋谷の住宅地にある小公園を訪ねる第2回(第1回はこちら)。

渋谷2号公園は、1号と比べてかなり古い印象があります。周囲の家々もそれなりに古いスタイルのものばかりなので、調べてみると2号が1980年、1号は2010年なので、こちらの方が30年も前に開かれたようです。

2017年9月4日

1574/1000 渋谷1号公園(神奈川県大和市)

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さて、No.157115721573と、東京の渋谷区の渋谷川沿いにある公園を訪ねました。この「渋谷」の地名は、東国武士の「渋谷氏」が領地としていたことに因むものです。
その渋谷氏の本拠地が神奈川県大和市渋谷付近で、相模鉄道には高座渋谷駅があります。

そんな本家・渋谷は、東京の渋谷駅から電車で1時間ほどのところにあり、駅の周りは戸建て住宅地として開発されています。
その中にある渋谷1号公園は、敷地の1/4くらいが花壇になっている華やかな公園でした。

2017年9月3日

1573/1000 広尾公園(東京都渋谷区)

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広尾公園は、明治通りと外苑西通りとが交わる天現寺橋の交差点近くにある小公園です。
ここは昭和44年(1969)まで都電車庫があった場所だということで、その廃止跡地に都営アパート、公園、保育所などが一体的に整備されたようです。

2017年9月2日

1572/1000 臨川四季の森公園(東京都渋谷区)

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臨川四季の森公園は、JR恵比寿駅から明治通りを東の方に進み、一本裏通りに入った渋谷川沿いにある小公園です。

2017年9月1日

1571/1000 広尾一丁目児童遊園地(東京都渋谷区)

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広尾一丁目児童遊園地は、JR恵比寿駅から明治通りを東の方に進んだところにあって、通り沿いから渋谷川に向かって鰻の寝床のように細長く作られた小公園です。
出入口には門扉があり、時間を限って開かれるタイプの公園になっています。

2017年8月30日

1570/1000 天神ノ森公園(大阪市西成区)

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阪堺電車には「天神ノ森」という駅がありますが、その由来となったと思われるのが駅前すぐの天神ノ森天満宮です。
しかし、この天満宮の呼び名は冠の付け方が捻れているというかなんというか、神社がある森、天神さんに付随する森だから「天神ノ森」と呼ばれるのだろうに、それが天神ノ森天満宮では、矛盾でもないし、自己完結でもないし、何という言葉がぴったりなのかわからないのですが、とにかく落ち着かない気分になります。

さて、そんな天神ノ森地区にあるのが天神ノ森公園。じつは隣の聖天坂駅の目の前なのは、駅間が短い阪堺電車なので仕方がないところです。

2017年8月29日

1569/1000 聖天山公園(大阪市阿倍野区)

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「聖天山」は大阪市阿倍野区にあり、聖天(歓喜天)を本尊とする正圓寺が建つ小さな丘の呼び名です。登り口の横に大きく「聖天山正円寺」と刻まれていますが、山号は聖天山では無いそうです。

2017年8月28日

1568/1000 晴明丘相生公園(大阪市阿倍野区)

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No.1567で登場した晴明丘ですが、丘なのでその周りには何本もの坂道があって、「阿倍野七坂」と呼ばれたりもしています。
晴明丘相生公園は、そのうちの相生坂の近くにあるのですが、公園そのものが坂道のようになっています。

2017年8月27日

1567/1000 晴明丘公園(大阪市阿倍野区)

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大阪市の地名「阿倍野(あべの)」は、古代の豪族・阿部氏(安倍氏)が本拠としていたことに由来するとされます。安倍氏と言えば、阿倍比羅夫阿倍仲麻呂などがいますが、とくに有名なのが安倍晴明ではないかと思います。
と言うわけで、阿倍野区に今も残る清明神社の近くにあるのが清明丘(せいめいがおか)公園です。

とは言え、付近の地名が晴明丘なだけで、公園そのものに安倍晴明に関わるようなものは何もありません。
道路に面した間口が狭く、奥に進むと広くなる旗竿型の敷地となっています。

2017年8月26日

1566/1000 太子橋東公園(大阪市旭区)

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太子橋東公園は、直線道路で区画された住宅地と、曲線的な旧河道との間に挟まれた三角地を3つ連ねたような不思議な敷地形状をした小公園です。
便宜的に、北側のブロック順にT(Triangle)1、T2、T3と呼んでみましょう。

2017年8月25日

1565/1000 太子橋西公園(大阪市旭区)

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太子橋西公園は、淀川沿いの太子橋地区の住宅地にある小公園です。
敷地の中央に大きな砂場があり、広場として使えるスペースは極めて小さく、サクラなどの植栽が多いという形なので、小学生が走り回るには物足りなく、ほぼ幼児向けの遊び場といった色合いです。

2017年8月24日

1564/1000 太子橋南公園(大阪市旭区)

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太子橋南公園は、大阪工業大学にほど近い太子橋地区の住宅地の中にある小公園です。
全体的には幼児~低学年向けの遊具広場仕立てなのですが、緑陰も多くて落ち着ける公園になっています。

2017年8月23日

1563/1000 太子橋中公園(大阪市旭区)

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大阪市の北東端、淀川沿いにある太子橋は、聖徳太子にちなむ地名伝承の残る町です。
寺院を建てる場所を探していた聖徳太子がこの地を訪れ、大庄屋の田嶋家で休息された際にお礼として残した自画像が昭和の初め頃まで残っており、田嶋家では代々「太子祭」を開いていたということです。
また、1971年(昭和46年)の住居表示実施までは橋寺町となっており、これは奈良時代に行基が開いたという橋本寺(橋寺廃寺)に因むものだそうです。と言うことは、元々は行基に因む地名だったものが聖徳太子に取って代わられたということで、さすがは聖徳太子と言うべきでしょうか。

さて、そんな太子橋地区の中央部、淀川の堤防から見下ろせる位置に、太子橋中公園があります。
ここは大正時代から市内の公共事業で使う樹木の苗圃だったところで、御堂筋のイチョウもここで育てられたものだということです。

2017年8月22日

1562/1000 清水北公園(大阪市旭区)

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大阪市旭区の清水は、守口市と接するあたりの古くからの住宅地です。
清水北公園は、その中でも北の端、守口市まで60メートルほどのところにあります。

2017年8月21日

1561/1000 今市公園(大阪市旭区)

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今市は大阪市の北部、旭区にある町名で、元々は京阪を結ぶ街道沿いの物資集散地として「古市」との対照として名付けられたと言います。
「では古市はどこ?」となるのですが、旭区のHPによれば「(今市は)東成郡古市郷のうちにあり」と書かれており、付近一帯が古市で、その中でも新しいのが今市だということです。
古市は平安時代の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にも出てくる古い地名だということですが、その時点ですでに「古い」と言われていたのだとすれば、相当に古いのでしょう。

さて、そんな今市にある今市公園。
けっしてイマイチな公園ではなく、戦災を逃れた古い街なみの中で、貴重な公共オープンスペースとなっています。

2017年8月20日

1560/1000 北畠公園(大阪市阿倍野区)

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阿倍野区北畠は南北朝時代の武将・北畠顕家の墓と伝えられる塚にちなむ町名で、その塚の周りを公園にしたのが北畠公園です
公園としての開園は昭和14年(1939)ないしは翌15年のことのようで、園名標柱には「昭和14年11月竣工」とあります。また、園内の石碑は昭和15年5月の碑文があり、有志が浄財を集めて塚の周りの土地を買収し、大阪市に寄付して公園としたことが記されています。

●碑文をだいたいのところで書き起こし
昭和3年7月同志相謀り、北畠卿顕章会を興し、墓域拡張修築の為、篤志家の寄附を勧奨し某額5400円を得たり。依って年次祭典を行い墓域隣接の民屋並びに宅地を買収し、以て浄化拡築を図らせんとせしに、時あたかも大阪市に於いて史跡公園として経営せらるるに会いせり。
是に於いて其買収に係る宅地32坪8合と残余金1200円を以て事務所6坪を建設し、之を大阪市に寄附せり。而して会計事務は副会長田中直蔵之を掌理し、ここに全く結了す。依って石に刻して大方各位の高志に酬ゆと云爾。

昭和15年5月22日

北畠卿顕章会長正六位勲三等 武岡元忠誌  宮川黄石書

阿倍野区HPにある『阿倍野の地名・町名の由来』によれば、北畠町という町名は「町名は、王子町の町域内の北畠公園に所在する大名塚を、江戸時代の国学者並川誠所が北畠顕家の墳墓と比定したことにより、当地周辺を顕家戦没ゆかりの地として顕彰し、この地に北畠の名を冠したことに由来する。」とあります。
ここに登場する並河誠所(1668~1738)は、HPでは国学者と書かれていますが、実際は伊藤仁斎の教えを受けた儒学者で、いくつかの藩で藩儒を務めています。現地調査を元に『五畿内志』という近畿圏の地誌を編纂し、陵墓や社寺、古跡などについて多くの史料・伝承を取りまとめていますので、この地も実際に訪れたのかも知れません。

さて現在の公園ですが、元々が戦前に人気があった南朝方の忠臣・北畠顕家を顕彰するための場として開かれていますので、仕立てとしては神社のような構造になっています。
そう言えば、同じく南朝方の楠木正成を顕彰していたNo.426 楠児童遊園も、鳥居まである神社のような公園でした。

現在までに改修されているとは思うのですが、この園路など参道そのものです。

外周柵も、玉垣のようです。

墓所も垣で囲まれているわけですが、それ以外のところには、滑り台や砂場などの遊具、背伸ばしベンチなどの健康器具も置かれていて、歴史公園としての面と、市街地の小公園としての面の両面を持つ公園となっています。

そして、公園の一角には、上述した碑文に出てきた「事務所6坪」の系譜を引くと思われる顕家会館という建物があります。

現在は集会所兼保管庫のような使われ方をしており、格子窓の向こうに顕家公ご尊像を拝することができます。
●現地の解説板より「北畠顕家公 由緒記」
後醍醐天皇の王政復古の御理想により、源頼朝以来の鎌倉幕府を支配していた執権北條氏を新田義貞他の協力により討ち滅ぼして、建武の中興が成り(1333年)、当時参議近衛中将であった、北畠顕家公は武芸とは無縁の公家の身でありながら後醍醐天皇の命により16歳の若さで陸奥守に任ぜられ、皇子義良親王を奉じ御父親房公と共に奥州へ向かわれ、専ら其の地の鎮護に当たられた。
然るに其の2年後(建武二年)鎌倉にいた足利尊氏が天皇に叛して京へ攻め上ったので、顕家公は天皇の命を受けて奧州、関東の大軍を率い、長駆(※原文では長躯)尊氏の後を追い之を打ち破り、足利勢を九州へ敗走させる武勲を樹てられた。
京都を確保した後、顕家公は再び親王を奉じて奥州に戻られたが、先に敗走した足利尊氏は九州で勢力を盛り返し、又々京都へ攻め上ってきた。
これを迎え撃った楠木正成は湊川で戦死し(1336年)、尊氏は京都に進攻したので後醍醐天皇は神器を奉じて吉野へ逃れられた。所謂何北朝の始まりである。
吉野に遷都された天皇は再度顕家公の西上を促されたので、公は任地である奥州の霊山を出発し鎌倉へ入り、更に伊勢、奈良へと進撃して来られた。
足利方の大将高師直の軍勢と摂津国(大阪府)で対戦、天王寺阿倍野に転戦したが戦利あらず次第に押されて、出発時6万を数えた軍勢も最後には公の身辺を護る者僅かに20数騎となり志半ばにしてついに戦場の華と散られた。時に御年21歳。花将軍と謳われた悲運の貴公子であった。
公は若年ながら高邁な識見と鋭い政治批判力を持ち、その真価は戦死の直前後醍醐天皇への「上奏文」に見事に発揮され、その堂々とした文章と達見は後世に高く評価されている。
当墓は「太平記」等の伝承により江戸期の学者並川誠所の提唱で享保年間(1720年頃)建てられたものである。

北畠顕家公 顕彰会

ところで、開園から十数年後の昭和28年の地図を見ていると、この公園として示されている区域が、今よりもずいぶんと広いことに気が付きました。地図の方位・縮尺が異なるので少し見比べづらいですが、現在よりもざっと3倍くらいの広さがあるように見受けられます。
国際日本文化研究センター所蔵地図データベースより
阿倍野區詳細圖 : 最新地番入(1953年発行)
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/
マピオン電子地図より現在(2017年)
https://www.mapion.co.jp/
この件については調べがつかなかったのですが、また資料が揃えば追記してみたい北畠公園でした。

(2017年6月訪問)

2017年8月19日

1559/1000 北郷公園(兵庫県西宮市)

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大正時代に武庫川の改修に伴って廃川となった支川の枝川跡地に住宅地が開発され、これが甲子園と名付けられました。今は甲子園○○町という住所表記の範囲は広がっていますが、甲子園一番町~九番町までが当初の開発範囲だそうです。
北郷(ほくごう)公園は、そのうちの甲子園三番町にある小公園です。

公園の開設は1941年(昭和16年)とのことで、西宮市でも古株の公園にあたります。
公園施設は順次入れ替えられていますが、東門・西門の門柱は、70数年前のものが残っているのではないかと思います。

2017年8月18日

1558/1000 豊年公園(兵庫県西宮市)

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豊年公園は、JR甲子園口駅から南西へ700メートルほど離れた場所にある小公園です。おそらくNo.1556 弁天公園No.1557 御代開公園と同じ戦前の区画整理事業の中で誕生した公園と思われ、開設は1944年(昭和19年)です。

ただ、No.1556、1557が外周を道路に囲まれ、駅近にしては広めの3,000~4,000平米の敷地を持ち、広場、植栽地、遊具広場などがしっかり分かれていたのに対して、ここは666平米と小さく、ほぼ遊具広場のみの構成となっています。

2017年8月17日

1557/1000 御代開公園(兵庫県西宮市)

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御代開(みよびらき)公園は、No.1556 弁天公園と同時、1939年(昭和14年)に旧法下での土地区画整理事業によって用地確保された児童公園のうちの一つで(西宮市,『西宮の公園・緑地(H28年版)』,p.75)、西宮市ではもっとも古い部類の公園です。
「御代」はこの付近の江戸時代の村落名のようなのですが、いつ頃まで残っていた地名なのかはよくわかりません。御代村の中でも新しく開かれたエリアが「御代開」だったのでしょうか。

2017年8月16日

1556/1000 弁天公園(兵庫県西宮市)

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弁天公園は、JR甲子園口駅の南、350メートルほどのところにある小公園です。「弁天」は付近の旧字なので、かつては近くに弁天様を祀ったお堂があったのだろうと思いますが、今は見当たりません。

2017年8月15日

1555/1000 佐良浜港の公園(沖縄県宮古島市)

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佐良浜港は、沖縄県伊良部島の東岸にある小さな港です。
フェリー港と漁港が一緒になったような形をしていますが、伊良部島と宮古島との間には、2015年(平成27年)に全長3,540メートルの伊良部大橋が架かったため、定期航路は廃止されてフェリー港部分は休業中です。
この港の周りに、小さな公園が整備されています。

2017年8月14日

1554/1000 新靭公園(兵庫県西宮市)

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新靭公園は、西宮市の国道2号線沿いにある小公園です。
小さな公園ですが、園内にはクスノキ、エノキなどが大きく育っており、緑の少ない国道沿いでは非常によく目立つ場所になっています。

2017年8月13日

1553/1000 東甲子園公園(兵庫県西宮市)

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「甲子園」は、全国一般的には甲子園球場を指すことが多いかと思いますが、実際は西宮市東部の住宅地の名称で、その地区内にある球場が甲子園球場です。
東甲子園公園は、その地区の甲子園一番町にある小公園です。

2017年8月12日

1552/1000 小曽根公園(兵庫県西宮市)

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「曽根(そね)」という地名は各地に見られますが、著名な地理学者・地名研究家である松尾俊郎(1897-1979)によれば、これは「低く長く延びた高まり」のことで、河川の自然堤防を指していることが多いそうです。(松尾,1973,『自然堤防にちなむ地名-特に”曽根”の地名を中心に-』
西宮市の小曽根町(こそねちょう)も、武庫川の本流と、その支川で大正時代に廃川となった元・枝川との間の三角州にあたる場所にあります。