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2017年12月4日

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上田公園は西宮市の東南部、江戸時代に武庫川最下流の砂州に開かれた新田村としてスタートした地区にある小公園です。

この付近の海岸沿いでは昭和初期から川西航空機、昭和電極などの工場が建設され、上田あたりも次々と農地から関連工場、社宅などへと転換されて住宅が急増した地区だと聞きます。
ちなみに海岸沿いの工場群は、戦災で壊滅したものの戦後に復興、しかし公害問題等のために次々に移転して、その跡地は武庫川団地などに変わって今に至っています。

さて、冒頭から地域史の概略について述べたのは、現在の「上田公園」は公園単体の施設ではなく、江戸時代に勧請された天照皇太神宮、工場を相手取った公害対策交渉の過程で建設された上田公会堂が一体となった空間になっているからです。
下写真で右手の杜が天照皇太神宮、その他の広々としたところが公園です。

西宮市の公園・緑地』によれば上田公園が開かれたのは1953(昭和28年)、『鳴尾東地区のコミュニティ活動』(倉田和四生,関西学院大学社会学部紀要 March-1990)によれば上田公会堂の建設が1964年(昭和39年)ですので、元々あった公園内に公会堂が建設されたものと思われます。

こちらが公会堂。道路ではなく、公園の側に向かって出入口が開いています。
こうした特徴のある公園ですので、日常的にも、また祭りなどの地域行事にも色々と使われているものと思われます。

さて、園内の様子はと言えば、公会堂の前庭にあたる敷地の南半分を大きな広場とし、中央に大きなパーゴラを挟んで、北半分が遊具スペースになっています。

もっとも、中央にある「パーゴラ」は、一般的な公園のパーゴラの規模ではなく、長さ15メートルくらいある巨大なフジのトンネルになっています。

訪れたのは晩秋だったのですが、それでもこの茂りよう。次は花の季節に訪れてみたいものです。

パーゴラを抜けると、コンクリート製のトンネル遊具、滑り台、遊び台などが目に飛び込んできます。

中でも目につくのは、こちらの2匹のアシカが寄り添った形の滑り台。

真横から見るとわかりませんが、片側が階段、もう片側が滑り台になっています。

以前にNo.1287 住吉公園で見かけたものによく似ているのですが、足や尾の形などの造形はNo.1287の方が少し手が込んでいるように思います。
No.1287 住吉公園のアシカ

そして、かなり大ぶりな遊び台。シンプルですが、それゆえに長く使える遊具です。

コンクリート製遊具に続くのが、個人的に「西宮カラー」と呼んでいる、濃い青を貴重とし、ポイント的に赤・黃を使った彩色の鉄パイプ製遊具の一団です。
まずは回転ジャングルジム。今でもよく回っているようで、子供たちがつかまって走り回る部分の地面がきれいにえぐれており、一昨日に降った雨が溜まっていました。

背景に物が多くてわかりにくい写真になりましたが、これも西宮では時々見かけるヤジロベエ型のシーソー。
小さな子は座って遊びますが、小学校も中学年くらいになると、当然のように持ち手部分に立って遊んでいます。

ほかに、なんとなく虫のような形をしたパイプラダー遊具、ブランコもあります。

最後に控えるのが、木製の複合遊具。木製のフレームに、滑り台、雲梯、ラダー遊具などが組み合わさったものです。

全体的にはよくあるパーツが多いのですが、ここだけ少し変わっています。
座板部分がパイプでできているため、立ち乗りしかできないブランコ。そして、いくら子供でも低すぎる吊り輪。実際の遊ばれ方を見たかったのですが、誰も来てくれませんでした。

そして、遊具の影に隠れて目立ちませんが、公会堂の裏手にあるコンクリート列柱も謎です。
園路の線形は曲線になっているのに、列柱は直線。そして進んでいった先には、何があるでもないところが不思議です。

まっすぐ行った先が、天照皇太神宮の鳥居だったら参道扱いでも良いのですが、そうはなっていません。

おまけに、列柱沿いは倉庫代わりなのか、不用品を放置しているのかわからないような見苦しい状態になっていました。長年の間に、地域活動やお祭りで使うグッズが多くなって、建物から溢れているのでしょう。

色々と面白いことや気になることを詰め込みつつ、地域とともに歩んでいる上田公園でした。

(2017年10月訪問)

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