4248/1000 城ノ前公園(神戸市東灘区)

2026/05/18

神戸市東灘区 身近な公園 水遊び場 兵庫県

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No.4247 上ノ山公園と同じ阪急・御影駅の近くで、平野城に因むとされる小字名を使った城ノ前(しろのまえ)公園。3方向を住宅に囲まれた小公園です。

■現地の解説板より「城ノ前の由来」

南北朝紛争時代(西暦1350年前後)、北朝方の武族、赤松円心の家臣だったと言われたこの地の豪族(平野忠勝)が、御影村落の上ノ山(城ノ山)に山城(平野城)を築き応戦したと言う伝えがあり、城郭の形態配置などは定かではないが、丁度この付近がその城の表門方にあたるであろうとして「城ノ前」と称される地名がついたと伝聞する。また近くにはその名残か「大手筋」と呼ばれる路線名もあり、中勝寺は平野忠勝の菩提寺である。
この地名は廃藩置県後も「御影村字城の前」と称され、明治の市町村発布後も「御影町大字御影小字城の前」として、現在(2008,11,11住居表示変更時点)まで継続された。
”南北朝紛争”や”武族”などのほとんど聞いたことがない単語や、”家臣だったと言われた豪族の言い伝え”のように関係性がわかりにくい表現が多く、No.4247の解説板と比べると読みにくいのですが、なにか古い書物から採られた文章なのでしょうか。

それはさておき園内。地形なりに山側が少し高く、そこに小さな広場を取って、後は庭園風に仕上げています。

はっきりとした遊具はまったくないのですが、ここなどは子供がちょっと遊べる土木的遊具と考えて整備したように思います。
石は、このあたりの扇状地を掘ればいくらでも出てくる花崗岩なので、現地で出てきた石を並べているだけかも知れませんが。

この流れも、修景とともに、幼児が水遊びできるように作られたものでしょう。

流れの最上部、水が出てくるところには、石臼だったものが使われています。
この付近は、江戸後期~明治中頃までは表六甲河川の急流を動力源とする大水車地帯で、製粉や製油が盛んだったのですが、やがて使われなくなった石臼が、屋敷の石垣などによく転用されています。

そして、階段でもスロープでも上がれる10メートル四方くらいの広場の周りには、健康器具が数点置かれています。No.4247の健康器具と比べると、ベンチ兼用のものばかりなので、あえて運動すると言うよりも、座るついでにちょっと背伸びをするくらいの使い方になります。

散歩の途中に立ち寄りたい、城ノ前公園でした。

(2026年3月訪問)

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