神戸市須磨区と垂水区の境界にある標高252メートルの旗振山(はたふりやま)は、江戸時代から明治初期にかけて、大阪・堂島の米相場を瀬戸内海沿いに西国に知らせるために用いられた旗振通信の中継所の1つだった山です。
錦絵にも堂島米市場の近くの屋根の上で旗を振る様子が描かれていますが、電信の主要幹線網が完成したのが1882年(明治15年)らしいので、その頃までは盛んに使われていたのでしょう。
「大きな旗を振って情報を伝えるなんて、いかにも前時代的」と思ってしまいがちですが、柴田昭彦『旗振り山』(ナカニシヤ出版,2006)によれば、瀬戸内海沿いの旗振り通信は想像以上に速く、明治になって望遠鏡が発達して前後の中継所の様子を確認しやすくなった時期には、通信速度は平均約720km、大阪から広島まで40分ほどで届き、1日に5~10回は相場情報が送られていたそうです。
そんな旗振山を見上げる旗振公園は、グリーンハイツという住宅団地の一角にある小公園です。
下写真で左側の、少しこんもりとした山が旗振山ですね。確かにあそこで旗を振っていたらよく目立つことでしょう。
敷地は建物を回り込むように鉤型になっています。
遊具の中で目立っているのは、どの角度で園内を撮影しても写り込んでくる土管遊具です。
土管自体は古いものだと思いますが、足元の基礎部分は柔らかいラバー処理がされています。わりと最近に改修がされたのかも。
地味ですが、楕円と円とを組み合わせた砂場のデザインも良いですね。
大阪湾越しに紀州・泉州の山なみを眺めることもでき、晴れた日に訪ねたかった旗振公園でした。
●旗振り通信について詳しい論文
高槻泰郎(2011)『近世日本における相場情報の伝達-米飛脚・旗振り通信-』,郵政資料館研究紀要 第2号
(2021年3月訪問)
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