かつて姫路城の周りには三重になった濠があり、その終点だったのが城の北東にある野里の堀留町。
ということが、道端の解説板に書かれていました。
■現地の解説板より「姫路城外濠跡」
姫路城には敵から城を守るために内濠(2,970m)、中濠(4,323m)、外濠(5,232m)の三つの濠があり、総延長は12,525mです。濠の最終地点はここ野里堀留町です。大半は埋め立てられているが、竹の門の西方から北の濠端までは約2mの水路を残して埋め立てて公道としています。
”幅2メートルの水路を残して埋め立てて、公道としています”とあるので、この道幅全部くらいまでが濠だったということですね。そう言われてから眺めてみると、けっこう大きなものだったことが伝わってきます。
そして、この外濠が境界になっているとすれば、下写真の左側は城の中、右側は城の外ということになり、現在の野里堀留町は、城の外側の町名です。
さて堀留公園は、その野里堀留町の中ですが、外濠通りには面しておらず、街区の奥まったところにあります。
敷地は20メートル四方ほどの小さなものですが、滑り台、2連ブランコ、砂場といった児童公園の基本遊具を上手に収めて、コンパクトながらも使いやすい構造になっています。
遊具は、わりと新しいものに入替えられているので、再整備の際にもコンパクト収納が意識されたことが伝わってきます。
そのお陰で、広場スペースもしっかりと確保されています。
周りの環境から見て、遊具で遊ぶ子供よりも地域活動で集まる大人の方が多い公園のようには思いますが、誰が何に使うにしても、オープンスペースは公園の基本です。
でも木陰が砂場の上のパーゴラだけなので、この点はなんとか考えていきたい堀留公園でした。
(2024年8月訪問)
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