近年、新潟県では2004年10月の新潟県中越地震(最大震度7)、2007年7月の新潟県中越沖地震(最大震度6強)と、2つの大きな地震が発生しています。このうち中越沖地震では、柏崎市の中心部にある「えんま通り」商店街に甚大な被害が発生し、通りの南側の下町地区では7割以上の家屋が倒壊、あるいは全壊判定を受けました。
そこからの復興事業の一環でつくられたのが、えんま通りなないろ公園です。
ちなみに「えんま通り」の名は、通りに面したところに円光寺の閻魔堂があるからです。
商店街には、震災前は古びたアーケードが続いていたそうですが、復興過程でそれが廃止され、歩道も拡幅されて明るい印象の街なみに生まれ変わっています。
公園の本体は、えんま通りから30メートルほど奥に入り、一段下がった位置にあります。
もっとも引き込み部分には防火水槽なども埋まっており、幅広でイベント時などにも利用できそうなので、ただの旗竿型敷地というわけではありません。
奥に進み、公園本体部分を見下ろします。
典型的な広場型の小公園で、休憩所とベンチのほかには目立った施設はありません。
通りの方とは3メートルくらいの高低差があり、バリアフリー用のスロープが長々と続いています。
広場のパーゴラの横から、いま来た方を眺めるとこうなっています。
園内のパーゴラやベンチなどは、災害時に使える仕様のものが採用されています。
震災後につくられた公園ではよく採用されるアイテムですが、実際に使わねばならない機会が訪れないことを願うばかりです。
スロープの下に埋め込んである倉庫にも、防災用の備蓄物資などが収められているのではないでしょうか。
高低差部分の擁壁には、2ヵ所に壁画が描かれています。
地元紙の記事に出ていましたが、作者は柴田智明さん。テーマは希望だとか。
アニメ絵のようでもあり、どことなく水墨画のようでもあり、なんとも独特の作品です。
広場の南半分は、草敷きのスペースになっています。
少し草丈が長めなので、もう少し低く刈り込めば小さなお子さんがヨチヨチ歩き回るのにも向いた場所になると思われます。
ところで、公園の周囲を見ていて気がついたことは、通りから見て住宅の裏側、つまり街区の中心部分に裏庭的な緑の空間が続いていること。公園が通りから離れていることも含めて、復興過程で計画的に再配置したものではないかと思われます。
つまり、えんま通りに面するところには庭や駐車場を見せずにしっかりと商店の間口を開けることで賑わいをつくり、生活環境や防災に必要なスペースを裏側にまとめるという手法です。
園内から見えているとはいえ隣接民有地の写真を掲載することにはお詫びを申し上げねばならないのですが、震災復興の思想や技術的な工夫が感じられたえんま通りなないろ公園でした。
(2020年7月訪問)
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