旧手宮線は、北海道の海の玄関口である小樽を起点として、札幌、三笠を結ぶ北海道で最初の鉄道です。しかし1985年(昭和60年)に全線が廃止されて、その跡地のうちの約1.6kmが遊歩道として整備されました。
廃線敷というと、線路を取り除いて緑道化することが多いのですが、ここは線路を残していることが景観的に際立っており、観光客の撮影スポットとして大人気の場所です。
こうなったのには理由があり、平成の中頃に、廃線敷をどのように活用していくべきかが議論になった際に、市民意見として「遊歩道にしよう」と「鉄軌道として再利用しよう」とが拮抗したために、跡地を市が購入して、暫定的に線路も残して整備したそうです。
このため、都市計画・都市公園の制度でいう緑地や緑道ではなく、いまも公式には”旧国鉄手宮線”や”手宮線跡地”と呼ばれているようですので、ここでは後者の呼び名を使います。
ちなみに、上2枚は緑地の北端なのですが、振り返ればまだもう少し線路は続いており、旧手宮線の扇形車庫や、北海道を走った50両以上の車両を保存展示している小樽市総合博物館へと入っていきます。
博物館エリアは有料なので、外から眺められるのは転車台と大きな石碑くらいです。
石碑は「北海道鉄道発祥驛」碑。1985年に手宮線廃線時に廃駅になった、手宮駅がここにありました。
あと、そうした文化財的な価値とは異なりますが、目についたのはこちらの蒸気機関車型の水飲み場。
正面に付いている六芒星と野球のボールを組み合わせたみたいなマークは、小樽市の市章です。中央にあるのは頭文字の”小”を図案化したものだとか。
でもこれだけで満足せずに、ぜひ中に入って楽しんだほうが良いでしょう。
大人400円の入場料で、国重文に指定されている旧手宮鉄道施設(転車台や機関車庫)などが堪能できます。
さて、やっと遊歩道の中へと進みます。
北端は手宮駅・貨物駅に接合する部分なので、何本もの線路が通る広々とした空間でしたが、しばらく歩くと複線に、やがて単線にまで減っていき、かなり人間サイズの広さになります。
散策路として舗装したところは土系舗装、その脇の植栽はグラス類や多年草が多く取り入れられており、廃線敷ならではの「ノスタルジック、素朴な風景」を演出しています。
私が訪ねたのが晩秋だったのでグラス類の方が目につきましたが、季節が違えば、花ものも目立ったことでしょう。
遊歩道によって人の流れが変われば、客商売の動きも変わるということで、もともとは建物の裏側だった遊歩道側に看板を出したり、出入口をつくった店もチラホラとありました。
商売をされてない家に取っては、家の裏をたくさんの人が歩くので心配事も増えますが、やがて良いところに着地していくとは思います。
線路以外にも保存されているものとしては、旧・色内(いろない)駅のホーム跡があります。ちょうど一般道と交差する場所でもあるので、休憩舎を建てて、ポケットパークとして整備されています。
駅舎は再利用ではなく、復元的に建て直しているものと思います。
改札口として開いているところが屋根下の休憩スペース、駅員さんの部屋は冬でも使える屋内休憩室になっています。
■現地の解説板より「色内駅跡地」
色内駅は大正元年(1912)8月11日に手宮線の最後に開設された旅客専用駅でした。
手宮線開通により石炭、穀物、木材などの交易の港湾都市として小樽を発展させ、色内駅周辺は日本銀行をはじめ、多くの金融機関が軒を連ね、「北海道のウォール街」と称されるほど賑わいがありました。アメリカ製蒸気機関車「義経」「弁慶」でけん引する手宮線はハイカラ列車と呼ばれ、ハイカラ好みの人達の間で人気を誇ったものです。
昭和36年(1961)10月に旅客取扱いを休止し、手宮線として昭和60年(1985)11月5日に全ての運輸営業が廃止されました。
線路の向かいには、小樽市の美術館・文学館。本来は裏口だったところが、遊歩道整備によってむしろ表口に変わってしまったかのような面白さがあります。
そこから一般道を渡ったところには、ひまわり公園があります。
これは元から線路沿いにあった児童公園が、遊歩道の整備時に一体的に再整備されたものです。
遊歩道から上っていくと、まず滑り台。
正面に回ると蒸気機関車になっていました。線路や踏切も付いていて、少し豪華な遊具です。
機関車の名前はライオン号。初めの方に出てきた総合博物館には、アイアン・ホース号というカッコいい名前の機関車が動態保存されていますが、それに負けず劣らずのカッコよさです。
その隣には、馬と機関車との駆け比べが楽しめるコーナーも。
むかしの西部劇で、そういうシーンがあったとか無かったとか。
パーゴラはフジがよく絡まっているので、暑い日の休憩に向いています。
遊歩道に戻って、ひまわり公園の方を振り返ります。
もう100メートルほど進んで、いわゆる寿司屋通りに突き当たるところまで来て、もう一度振り返ります。遊歩道の整備区間は、ここでお終いです。
この先も、線路跡そのものはもう200メートルほど続いて南小樽駅へと繋がっていきますが、そちらの区間は、今のところ活用は考えられていないようです。
暫定的な整備とは書きましたが、正直、このままの景色を維持して、アトラクションとして人力トロッコを走らせるくらいで良いのではないかと思う旧手宮線跡地でした。
■現地の解説板より「旧手宮線」
旧手宮線は北海道の最初の鉄道です。明治政府は日本の近代化を図るため、石炭など北海道の豊富な地下資源に注目し、その開発と輸送を目的に鉄道建設に着手しました。
そして明治13(1880)年、北海道最初、日本で3番目の手宮線(手宮~札幌間、後に三笠まで延長)が開通しました。
北海道の鉄道工事は、アメリカの技術によって進められ、蒸気機関車もアメリカから輸入されました。(小樽市)
(2024年10月訪問)
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