小樽市街地の中心部にあり、標高約90メートルの丘をほぼまるごと敷地としている小樽公園は、面積約23.5ヘクタールの総合公園です。園内には公会堂や市民会館、体育館などの公共建築物や、野球場、グラウンドなどのスポーツ施設もあって、まさに小樽を代表する公園だと言えます。
歴史も古く、それ以前から運動場や共同遊園地として使われていた丘が、1900年(明治33年)に公園として開園し、その10年後から祖庭長岡安平の設計によって拡大整備が進められ、現在の公園の原形が出来上がります。公園の入口付近にある噴水池も、この時に整備されたもののようです。
ただ「入口付近」と書きはしましたが、上述したような公共建築物が増えたり、そこへ至るための車両通行可の道路が園内主要部を貫いたりしているために、公園全体の「正面口」はわかりにくくなっています。
今は、市街地から公園通りを歩いてきて、この『炎の塔(一原有徳作)』の横から入るのが正解なのでしょうか。
その横手には、もっと古い『戦捷記念碑』もあるので、だいたいこのあたりが正面口として意識されていたことは間違いないと思います。
明治39年建立とあるので、前年に終わった日露戦争の勝利を記念してのもの。開園から数年のうちに、大事な記念碑の建立場所として市民に認識されていたことが分かります。
石川啄木の歌碑「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ」もあります。
石碑を眺めながら緩い坂道を上っていくと、日本庭園に出ます。平坦部があまりなく、池を最下段において、斜面を下から眺めるような構造です
訪ねたのが冬の入口の時期で、紅葉もあらかた終わっていましたが、季節が良ければ散策する人で賑わっていたことでしょう。
このあたりから園路が多く枝分かれしていて、舗装された歩きやすい坂道もあるのですが、林の中をまっすぐ抜ける階段を歩いて頂上の方へ向かいます。
そうしたら、立ち枯れて幹が空洞になっている樹に出会いました。
なんとか角度を変えてみて、空がハート型とかのいい感じに見えないか試してみましたが、うまくいかず。
そんなことをしているうちに、頂上の見晴台と名付けられたスペースに着きました。特別に展望台施設があるわけではなく、広場全体が見晴台です。
空が広くて気持ちは良いのですが、観光的な意味合いとしての見晴らしはボチボチくらい。
下写真は小樽運河の方角を眺めているのですが、距離が1.5kmほどと開いていることと、そもそも小樽運河の周りの建物は明治時代の2~3階建のものなので、なにも見えないといっても良いでしょう。
でもこのあたりが公園の中心であることに間違いはなく、色々と記念碑が集まっています。
2つ上の写真に映り込んでいたのは、1915年(大正4年)に建てられた行啓記念碑。その4年前に、当時は皇太子だった大正天皇が行啓の折に、ここに立ち寄ったということを記念しています。
それと正対するように、もう少し小高いところにあるのが、長紀聖蹤(ちょうきせいしょう)の碑。
こちらは明治天皇が、1881年(明治14年)の初めての北海道巡幸の際に、小樽港に上陸されたことを記念したものです。
でも建てられたのは昭和に入ってからなので、その時に「子である大正天皇の記念碑よりも高い場所に築かねば」という意思が働いての立地ではないかと考えます。
ほかにもラジオ体操の像や、ライオンズクラブの記念碑などもあるのですが、長紀聖蹤碑の後ろに、面白そうな遊び場が見えたので、そちらへ向かいます。
帰ってから市の資料を読むと、ここは「旧こどもの国」と呼ばれていて、1970年(昭和45年)から2006年(平成18年)まで観覧車などもある遊園地として営業されていた区域のようです。
2006年に観覧車や回転コーヒーカップなどの動力遊具が廃止され、一般的な非動力遊具がある遊び場に再編されたとのことですが、使えるものは使うという姿勢で、コーヒーカップは回らない椅子としてあちこちで花を咲かせています。
遊び場全体は大きく3ブロックに分かれており、今見ているのは、長紀聖蹤碑のすぐ後ろから滑り降りてくる滑り台の周りのブロック。
遊具は滑り台、ブランコ、砂場など、言葉にすれば一般的なのですが、それぞれの形やデザインはご近所の公園にあるものよりもワンランク上で、動力遊具を廃止したとは言え、その後継施設として良いものをつくろうとした気持ちが伝わってきます。
幼児向けの小さな滑り台は、周りに階段代わりの大きな遊び台やネット遊具などを組み合わせたもの。恵庭市のNo.3927 ほのぼの公園やNo.3928 やすらぎ公園で見かけたものに少し似ているので、北海道に強いメーカー製品なのかも知れません。
変わった形のブランコ。パッと見た時には、どちら向きに揺れるのか少し考えてしまいます。
こうやって乗るんですね。なるほど~。
そしてこちらは、展望デッキとネット遊具を組み合わせたもの。
もしかすると、もともと何か別の遊具の一部だったのかも知れませんが、いまは上って下りてという遊び方にしては、変に大きな空中回廊を抱えています。
斜め下方向には迷路があるのですが、ここと直接繋がっているわけではありません。
ただ、間の園路や階段も遊具の一部分だと考えれば、斜面に沿って展望デッキ-迷路-切株の遊具が立体的に配置されているとも言え、地形の制約を受ける中でよく考えられています。
展望デッキからの眺めも良いですが、切株の中を登ってきて、ひょいと顔を出したら海が見えるというのも楽しそうです。
そして、その横手には、緩傾斜地を使ったターザン遊具。これも地形を活かしています。
ターザンロープに揺られて下に降りてくると、元ゴーカート場だったと思われるスペースもあります。
昔は電気仕掛けのゴーカートがいたのかも知れませがん、今は代わりに自力で走る幼児車や三輪車が置かれています。
さらに通り過ぎると、けっこうワイルドな山道などもあって、この丘陵が本来持っていた自然の力のようなものを感じさせてくれます。
小山一つを使っているうちの、北斜面ばかりを訪ねた小樽公園でした。
■現地の案内板より「公園の沿革」
小樽公園は、北海道開拓長官黒田清隆の意見により共同遊園地の予定地となりました。明治26年、北海道庁より遊園地の払い下げを受け、整備を行い、明治33年、この共同遊園地を花園公園として開設しました。
明治43年、造園設計家の長岡安平により、大陸的公園として地割設計され、今日の基礎となりました。なお、大正4年、町名地番の変更により小樽公園に改称されました。
(2024年10月訪問)
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