横浜の開港時から大正にかけて、元町居留地の背後の山には浅間神社が祀られており、そこへ一直線に登っていく階段が「元町百段」と呼ばれて名所になっていたそうです。
しかし関東大震災で崩れてしまい、その後きっと色々あったと思うのですが省略して、いまは浅間神社があった場所が元町百段公園となり、階段の名を残しています。
その元町百段公園へは、この階段を上っていくのですが、ここは元町百段ではないということに注意が必要です。
■現地の解説板より「元町百段」
この地は、横浜の開港時から大正期にかけて、浅間山の見晴台と呼ばれ、たいへん眺望のよいところでした。右の写真は、当時前田橋から「元町の百段」を撮影した貴重なものです。元町二丁目から急な石段が百一段あったのですが、市民は「百段」と呼んで親しんだものです。この場所には、元町の鎮守厳島神社の末社の「浅間神社」が祭られ、小さな茶屋があり、外人の観光客もよくここを訪れています。浅間神社は、もと横浜村にありましたが、万延元年(1860年)に横浜の村人が元町へ立ち退いたとき、いっしょに移されました。
昔は、ここから港の出船入船や関内地区が手に取るように見え、遠く神奈川宿の旅篭や茶屋までが見渡せました。この公園は、関東大震災で崩れて、今はない「百段」の歴史をここにとどめるように造られたものです。(横浜市緑政局、中区役所)
こちらが、上記の解説板に掲載されていた、当時の写真。相当な傾斜の一直線階段だったことがわかります。
さて園内。かつては浅間神社があった場所だということですが、現在はレンガ造りの壁に囲まれた中に石造りの柱が並び、奥にはバラ園と、すっかり西洋風に様変わりしています。
園内の柱。ギリシア的なナントカ式とかの様式があるのかも知れませんが、よく知りません。
飾りとして風景をつくるためだけに置かれているわけですが、神社の遺蹟であることと、ここが横浜(日本における西洋文化の窓口)だということが変な割合で入り混じって、なんとも珍妙な化学反応を起こしているような気分になります。
バラ園は、訪れたのが真冬だったので、絶賛準備中。しっかりと剪定をして、春を待っています。
遊具などはない園内なので、季節を問わずに楽しめる目玉は、展望園路でしょうか。
解説板にあった”遠く神奈川宿の旅篭や茶屋まで”というのは昔の話ですが、元町から中華街方面が広く見渡せます。
ビルの向こうには、マリンタワーが頭を出しています。
さて、もう一度この写真。
解説板にあった、かつての百段の写真の場所がどうなっているのか、園外へ見に行っています。
元町商店街の方へ下りて、見上げてみるとこうなっていました。
「よくこんなところに階段を通したな」と思う崖地で、階段そのものが名物になった理由がわかる元町百段公園でした。
(2025年2月訪問)
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