岸和田市の久米田池は、周囲2.6kmもある大きな溜池で、池畔にある久米田寺(龍臥山隆池院)に伝わる文書によれば、奈良時代の725年から14年かけて築造されたと伝えられているそうです。
でも溜池を作ろうと考えるのは、近くに人が暮らしているからなので、池の周りでは奈良時代よりも昔、4世紀後半~5世紀半ばまでの久米田古墳群が見つかっています。
そして、池の隣の久米田公園内には、10基が確認されているという古墳群のうち、3基が保存整備されています。
■現地の解説板より「久米田古墳群」
久米田古墳群は、標高35~40m前後の久米田山丘陵に立地しています。この丘陵は、春木川右岸に形成された独立丘陵で、その上面は南北約650m、東西約500mを測ります。丘陵の北側はなだらかに傾斜し、南側は春木川に面し急な斜面となっています。現在この丘陵上で10基の古墳の存在が確認され、久米田古墳群が形成されていますが、もとは10数基の古墳からなっていたと推測されています。
まず一番大きいのは、貝吹山古墳。全長約130メートルの前方後円墳で、かつての周濠が今も溜池として残っています。
盗掘されたり、戦国時代に砦として使われたりして改変されており、現在も特別な整備はされていませんが、墳丘上は林の中に踏み分け道が通るような格好になっており、歩いてみれば「あ、古墳だな」とわかるくらいの高低差が実感できます。
が、大きくて未整備の古墳の常で、写真にするとどうにも古墳っぽさが出ません。
後円部の墳頂は、発掘調査の時に伐採したのか樹木が少なく、周りへの視界が開けています。
久米田寺の堂宇はよく見えるのですが、久米田池までは見えませんでした。
でもまぁこれも写真にすると、どこかの造成地のような風景になってしまいます。
貝吹山古墳から南へ向かうと広場、遊具、トイレなどがあり、公園としての主要部に入っていきますが、こちらにも円墳が2基、保存整備されています。
広場に隣接して、園内では一番目立っているのが無名塚(むめいづか)古墳。発掘調査で見つかったという円筒埴輪、朝顔形埴輪を並べるスタイルで復元整備がされています。
埴輪の中には、どこかから運ばれてきた種が芽を出して、植木鉢状態になっているものもありました。繁っている若葉は、クスノキでしょうか。
見た目にも非常に収まりが良いので、「これはこれで構わないんじゃないか」という気がします。
現地の解説板によれば、円墳の直径約26メートル、周濠の幅約10メートルだそうで、墳丘部はほぼそのサイズに復元されていると思いますが、濠は少し小さめに整備されています。小さな子供が自転車でグルグルと走り回っていたので、遊び場としてもよく使われているようです。
ここにはれっきとした階段が付いていて、墳頂まで登ることができます。
でも古代建築、と言うよりはそれを模した家形埴輪のようなトイレの写真は欲しかったので、ここだけ少し近寄ってみました。通常のトイレとして必要な屋根の上に乗っかっている屋根は、ハリボテの飾りなのでしょうか。
そして園内に残る3つめの古墳が、風吹山(かぜふきやま)古墳。全長71メートルの帆立貝型古墳です。
ここもきれいに整形され、円丘の頂上まで階段が付いて登ることができるようになっています。
無名塚よりも大きく、貝吹山のように樹が繁っていないので、子供が走り回るのに向いているのですが、あくまで文化財ですので、遊ぶにも節度が必要です。
(2023年3月訪問)
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