3831/1000 吉見児童遊園(大阪府田尻町)

2025/01/11

社寺御嶽 大阪府 田尻町

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本ブログとしては2025年の初めの記事。新年にふさわしく、神社の中にある公園から始めようと思います。

それが大阪府田尻町の旧市街地、春日神社の参道沿いにある遊び場・吉見児童遊園です。

上写真の社殿の周りの境内地から、車も通る一般道で切り分けられた先が参道になっており、その参道沿いに細長く児童遊園が整備されています。
この付近は古くからの田尻町の中心地で、明治になってから廃藩置県までのわずかの期間ですが吉見藩の陣屋も置かれた地区ですので、公共オープンスペースに使える土地は限られるのですが、非常に良いところにスポッと児童遊園が収まっているという印象です。

もう少し進むとこうなっています。
植え込みの向こう側が児童遊園なので、普段は参道と干渉せず、それでいてちょっとした広場遊びくらいなら参道を使うこともできて、人出が多いお祭りの時などは休憩所が役に立つ、といった使われ方が想定されます。

児童遊園の本体部分に入ります。施設は大きな縁台が付いた休憩所と、幼児向けの滑り台、鉄棒など。

滑り台は、わりと最近に新しくなったようで、南国風のカラフルなものが置かれています。

鉄棒もまだ新しいので、同時期に入替えられたものかも知れません。

ところで、公園からは数十メートルほど離れた紀州街道沿いに、泉州の特産品であるタマネギの普及に功績があった皆さんを称える「泉州球葱栽培之祖碑」があります。
手前のカイヅカイブキで碑がまったく見えませんが、すぐそこです。

碑文はかすれて読みにくいですが、代わりに隣にわかりやすい解説板が建てられています。

■現地の解説板より「泉州球葱栽培之祖碑について」

明治4(1871)年にアメリカより輸入されたタマネギは明治5(1872)年頃に北海道で栽培に成功します。
明治12(1879)年に土生郷村(現・岸和田市)の坂口平三郎が栽培実験を行い、明治17(1884)年に田尻村(現・田尻町)の今井佐治平、大門久三郎、道浦吉平が本格的な栽培を実施しました。やがてタマネギ栽培は泉州地域で盛んとなり、泉州球葱として全国に出荷され、大正9(1920)年に北海道を抜いて大阪府が全国一位の産地となりました。この碑は前出の三氏の功績を後世に伝えるために大正2(1913)年に農会が発起人となって建碑されました。泉州タマネギ栽培の歴史を示す貴重な金石文資料です。
碑文の主な内容は、「古来より住民は農耕と漁猟を兼ねて生活を営んできましたが、しばしば、不作・不漁となり貧しい生活を送っていました。これを見かねた田尻村の三氏はサトウキビ裁培を人々に奨励します。成功するものの後に海外から安い精糖が輸入されたため立ち行かなくなります。再び三氏は土地に適する作物を探し、タマネギに着目します。試行錯誤の末、タマネギ栽培に成功し、再びこれを奨励しました。やがて吉見球葱の名は各地で知られるようになりましたが、まだ食べる人が少なく、自ら市場の開拓、需要拡大に努めました。タマネギ生産も順調に進み、輸出するまでになり国内外に知られるようになりました。このころ吉見ノ里では、耕地80町歩(0.79キロ平米)、生產量30満貫(1,125t)、収入は3万円と盛況を博します。泉南郡全体の生産量は160万貫(6000t)であり、吉見ノ里がこれを導いた。」と記されています。

あたりと合わせて、地域の歴史を紡ぐ吉見児童遊園でした。

(2024年7月訪問)

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