さて、もともと岸和田の城下町は城より北~西側(海側)の街道沿いにつくられていましたが、昭和中期以降は城より南~東側の農村地帯が住宅として開発され、それとともに不要となった溜池が埋め立てられて公共施設へと変わります。
No.3334 今池公園や、ここ宮の池公園もその一つなのですが、こちらはNo.3334と違って、今も一部に池が残されています。
古い地図を見ると、上池・下池のような形で2つ池が並んでいたようなので、1つは埋めて、1つは残しているようです。
とは言え、残っている方の池も、池と呼べるほどの体をなしてはおらず、一面にオギやセイタカアワダチソウが茂る半湿地の状態になっていました。
周りよりは地面が低いので、雨が降れば多少は水が貯まるのでしょうが、それ以外に水源になる水路や湧水はなさそうなので、すでに池跡と呼んでも差し支えないように思います。
園内は、この2つの池跡を8の字で囲むように園路が通り、所々にベンチや東屋、健康器具などが置かれており、ご近所の皆さんの散策やグラウンドゴルフなどに適した形です。
小さいながらも駐車場やトイレがあり、園路沿いの照明灯も完備されているので、ウォーキングには向いていると思います。
反面、遊具はなにもないのですが、それは家の近所にあるもっと小さな遊び場型の公園と使い分け、ここは広がりを楽しむべきの宮の池公園でした。
(2022年10月訪問)
エマ様、こんにちは。宮の池公園の取材を拝読しました。岸和田市はふるさとで、小学生の頃は、この公園のすぐ近所に住んでいました。別所町に属します。今は滋賀県在住、京都市勤務で、たまに帰省します(高齢の親が岸和田在住)。この池は、私がいた頃はホント雑草が周りを囲む沼というか、不気味な雰囲気の池でした。たまに見ってましたが、落ちたら危険だなと、子供心に恐れていました。帰省時は必ずこの公園により、休憩しています。昔の池の歴史や鳥瞰図(写真)などがあればなぁと思っております。
返信削除こんにちは、ブログ作者です。コメントありがとうございます。
返信削除鳥瞰図とはいきませんが、国土地理院提供の”電子国土”で、「年代別の写真」を順繰りに追っていくと、岸和田など郊外では1960年代以降の航空写真を見ることができます。(大阪市街地などごく一部は戦前のものも)
https://maps.gsi.go.jp
宮の池公園を見てみると、昭和の終わりごろまでは周りに家が多くなっていますが、池自体は明治の頃とさほど変わらぬ姿で健在だったようですね。
2つの池が並んで、外周部はこんもりと植物が茂っている様子が見て取れますし、たぶん深さも今残っている池よりもずっと深かったと思われますので、子供心に警戒して大正解だったと思います。