神戸市長田区の中心地は、大正初めに、将来的な市街地拡大を見据えた耕地整理事業、つまり遠からず農業をやめて都市的土地利用に転ずることを前提とした農地区画や道路・水路の整備が行なわれて、神戸市中心部から連担する今のまちの原型が作られます。
じっさい、その後20年ほどで農地はほぼ姿を消したことで、それまで使われていた農業用ため池も不要となり、埋められていきます。
下図は今の高速神戸~西代~板宿あたりの範囲の1910年(明治43年)の地図ですが、山裾の谷や川沿いにあった数々の池は、今はひとつも残っていません。
そんな失われた池のひとつが五位ノ池(ごいのいけ)で、現在の五位ノ池小学校と、南側の市営住宅のあたりに広がっていました。今は池はすっかり姿を消しましたが、付近の町名として名を残しています。
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| 国土地理院(1910年:明治43年測図) |
そんな五位ノ池町にある五位ノ池町小公園。150平米ほどの狭小な公園です。
施設としては、小ぶりな複合遊具とベンチくらいで、遊び場としては半径100メートルくらいの子供たちを対象にするくらいのものです。
遊び場としてはもちろんですが、この公園では「ちょうちょの舞うまちづくり」の拠点として、ご近所の皆さんがチョウの食草となる草花を育てていることが特徴です。
例えば、ランタナやサルビアは花蜜が豊かでチョウの成虫が集まりやすいとされる花、
チャービルも、その目的で植えているのだろうと思います。
レモン(かな?)は幼虫の食草ですので、この先、葉っぱがかじられてこそ、意味を持つようになります。
小さいけれど個性が際立つ五位ノ池小公園でした。
(2025年5月訪問)









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