日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2015年3月3日

945/1000 森川公園(沖縄県宜野湾市)

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森川公園は、米軍普天間基地に続く小高い丘の斜面を利用して作られた公園です。宜野湾市の市立博物館のすぐ横にあって利便性が高く、また琉球王国の史書『球陽』にも登場する天女伝説の舞台となった「森の川」を含む公園として、宜野湾市を代表的する公園の一つです。

公園の入口から左へ進むと、公園名の元になった「森の川(ムイヌカー)」があります。「川」とは書きますが、これは当て字みたいなもので、沖縄方言でいう「カー(湧水、浅い井戸)」のことです。
写真左上の方に源泉部があり、そこから樋で手前の方に水が引かれています。

源泉部は拝所、下流部が生活用水で、周りの階段状になっている部分は通路などとして使うようです。

光の加減で見づらい写真しか撮れませんでしたが、現地にあった昔の「森の川」の様子を描いたタイル画です。
中央の水の出口には水汲みをする人、奥の方の源泉部には拝む人、周りには遊んでいる子供たちなどが描かれています。おそらく戦前を覚えている人の覚え語りをもとにして描かれたものではないかと思います。

■現地の解説板より 『沖縄県名勝 宜野湾市 森の川』
 1967(昭和42)年4月11日 指定
 2000(平成12)年5月19日 追加指定

名勝「森の川」は、天女が降臨し沐浴したという『羽衣伝説』の舞台となったところです。『球陽』などの古文書によると、天女は奥間大親なるものと結婚し、一男一女を授かり、のちにその男子は中山王察度になったと記されています。察度王は1372年に公式に初めて中国明朝と外交を開いた人物として知られています。
泉の東隣には村の聖地であるウガンヌカタがあり、そこに立つ石碑(西森碑記)に、泉は1725年に向氏伊江家の一族により、石積みで建造されたことと、そのいきさつが記されています。
この泉はまた真志喜の重要な泉で、子供が出生したときの産水、正月の若水をとる泉であり、地域の方々との結びつきが深く、大切な場所です。
 2003(平成17)年3月設置 沖縄県教育委員会 宜野湾市教育委員会


そこからわずかに離れたところに、この石積みを築いた人たちが置いた記念碑があります(西森碑記)。現地の解説板によれば1725年のことですので、今から290年前のものということになります。

記念碑のある拝所は小さなものですが、その前の門や石垣の方が立派で驚きます。
ちなみに、この写真にある森は高台にある普天間基地に続く斜面林になっていますので、高台に降った雨が地下の透水層を通って崖下に湧き出ています。このため、付近にはほかにも多くの湧水が見られます。

■現地の解説板より 『宜野湾市指定史跡  西森碑記(にしもりひき)』
 平成3年8月1日 指定

この石碑は高さ120cm、幅30~60cm、厚さ10~22cmのニービヌフニ(微粒砂岩)でできている。
尚清王(在位1527年~1555年)の第七子を初代とする向氏(しょううじ)伊江家の人々が、この石碑の前にある石門と森の川の石積み工事を行い、その完成を記念して雍正(ようせい)3年(中国年号・1725年)に建立したものである。
碑文には、「森の川で沐浴していた天女と奥間大親(おくまうふや)とが出会い、一男一女が生まれた。男の子は察度(さっと)と名付けられ、後に中山王に就いた。私たちの元祖尚宗賢伊江王子朝義の母は、宜野湾間切謝名村(ぎのわんまぎり じゃなむら)の野国掟(のぐにうつち)の娘で、名を城の大按司志良礼(ぐすくのうふあんししられ)といい、尚清王の夫人である。私達子孫は毎年5月、西森および森の川の泉を拝んでいるが、野国掟は奥間大親の末裔であるという伝説があるからであろう。
これらの事情により、私達は資金を寄せ、石工を集め、石を切り敷きつめ、泉を囲み、門を造った。また、西森の前にも長さ5丈4尺(約16.4m)の石垣を造り、門を開け出入りができるようにした。これらは先祖をしのび尊ぶためである。よって、ここに石碑を建立しその事を記す。
大清雍正3年9月吉日、向和憲垣花親方(うぇーかた)朝理・向良顕伊江按司(あじ)朝良、向和声西平親方朝叙」とある。
碑文の末尾の人物は三司官(さんしかん)の向和声を含めいずれも伊江家の子孫たちである。
平成4年3月  宜野湾市教育委員会

このように、もともと地域の方々にとって大切な泉や拝所のある土地ということで、ほかにも「森川之塔」という戦没者慰霊碑、地元で「ウンサクモ-」と呼ばれていたという丘などがあります。

さて、公園入口から森の川の方には行かずに、右手に入って斜面を伝う園路・階段を登っていくと、テニスコートや遊具広場のあるゾーンに繋がります。

遊具広場の周りには、天女羽衣像のレリーフ、大きな滑り台、1月なのにサクラ(寒緋桜)の咲く園などがあります。

しかし園路沿いは、南国の植物が生い茂るちょっとしたジャングル。

その手前には、コンクリート基礎に黒御影石張りで仕立てられた恒久性の高い注意看板が設置されており、「ハブに注意!!!」の本気度の高さが伝わってきます。植物をちょっと見てみたくても、下手に園路から外れる気が起こりません。

遊歩道を登り切ったところが、芝生の多目的広場になっており、お年寄りがグラウンドゴルフを楽しんでいました。

海の方への眺めも美しく、気持ちの良い広場です。

しかしながら、途中で書いたように、ここまで登ってくると高台にある普天間基地と同じ高さに達します。
すなわち、写真の中央を通る園路の右側が公園の広場、左側のフェンスの向こうが普天間基地。

芝生はひと続きなのですが、文字通りの「フェンスの向こう側」。
容易に立ち入ることのできない外国が広がっています。

(2015年1月訪問)

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