西宮市の若山はちまん公園は、「その名の通り」と言うべきか微妙な感じの命名で、西宮市若山町にある、大市八幡神社のすぐ前にある小公園です。
つまり「若山はちまん公園だけど、若山八幡神社の前ではない」ことに、若干の違和感を感じるわけです。
神社の鳥居のところまで行くと、これのヒントになることが書かれています。
エリアとして見ると、大市の方が範囲が広い大字レベルで、若山が狭い小字レベルですが、神社の氏子の範囲は大市を超えてさらに広がっているため、広域的には「大市の八幡さん」と認識されて来たようです。
東京都千代田区にあるけれど、千代田駅ではなく東京駅みたいな感覚でしょうか。
■現地の解説板より「村社大市八幡神社」
楠の大木を中心とする鎮守の森の村社は”大市の八幡さん”と崇拝され、古くは下大市、 上大市、段上、門戸、高木の五ヶ村の郷社であったが、現在は上大市、下大市、樋ノ口の産土神となっている。
三間社流造檜皮葺の本殿は兵庫県と西宮市の指定文化財となっている。文化3年(1806)の山崎道分間延絵図に記載されており、その解説に本殿は桃山時代の様式のものとある。(甲東文化財保存会)
それはさておき、園内。
参道に面したところから東に向けて長方形状に広がっており、中央付近にパーゴラ、遊具、ケヤキ植栽を縦に並べて敷地を二分して、奥に広場スペースを取っています。
複合遊具は滑り台、斜めガケ登り、後ろに雲梯も組み合わさったものですが、公園の規模に合わせて、やや小さめ。幼児でも遊べるサイズです。
広場スペースはそこそこ広く、
こちらの広場の周りには花木が多く植えられており、訪ねた時もピンク色の花が咲いていました。ハナカイドウでしょうか?
(2025年4月訪問)
昭和30年には町域・町名が改正された折の新町名は、小字「覚文田」の名を伝え、また地域の中心であった「学文殿」が選ばれた。地域内に鳴尾村時代からの地元住民の要望に応えて、昭和19年に村立鳴尾中学校(現鳴尾高校)、同年に村立鳴尾北国民学校(現鳴尾北小学校)、同30年に西宮市立学文殿中学校が開設された文教の地にふさわしいとされたのであろう。「覚文田」は覚文という名の僧侶の所有する田畑と考えてもよいだろうか。
返信削除※町名の話 西宮の歴史と文化 山下忠男著 302ページより抜粋