西宮市の学文殿町(がくぶんでんちょう)は、1951年(昭和26年)に西宮市に編入された旧鳴尾村の区域にあり、もともと付近にあった「覚文田」という小字と、鳴尾村立の中学校や国民学校があった文教の地であるという理由から、1955年(昭和30年)に名付けられたそうです。
その当時風の「学園都市」ネーミングということでしょうか。
そんな学文殿町にある学文殿公園。
その県立鳴尾高校、鳴尾北小学校、そして学文公民館や学文保育所の並びにあり、公共施設群の一角を占める小公園です。
北に隣接する小学校との間には門がありますが、かなり錆びついており、めったに開閉されることは無いように思います。しかし、せっかく繋がっているので、”学校公園”のラベルを付けておきましょう。
さて園内。学文公民館を角に置いて、その北と西との鍵型の敷地をしています。
このうち西側が土敷きの広場、北側が遊具コーナーになっています。
2つのスペースの境界部には、コンクリート製の蒸気機関車。おそらく、この公園で一番の古株遊具です。
そう思って古い写真を確認していたら、1995年(平成7年)1月に、阪神・淡路大震災後の公園調査を行なった際のものが出てきました。機関車は写っていませんが、編成全体の位置は変わっていなさそうです。
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| 1995/1/31撮影 |
阪神・淡路大震災から30年目の学文殿公園でした。
■山下忠男著『町名の話-西宮の歴史と文化-』(2000)より
学文殿町は、もとの大字鳴尾、小曽根、小松の各一部が合わさり生まれた町で、近代には鶴舞、末広、学文殿といった嘉名を付けられていた。昭和30年には町域・町名が改正された折の新町名は古い小字「覚文田」の名を伝え、また地域の中心でもあった「学文殿」が選ばれた。
地域内に鳴尾村時代からの地元住民の要望に応えて、昭和19年に村立鳴尾中学校(現県立鳴尾高校)、同年に村立鳴尾北国民学校(現鳴尾北小学校)、同30年に西宮市立学文中学校が開設された文教の地にふさわしいとされたのであろう。
(2025年7月訪問)













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