土山町南公園は、以前に訪ねたNo.1481 高羽桜が丘公園の斜向かいに出入口があるのですが、間に崖があり高低差が30メートル近くあるので、お互いの公園の様子はまったくうかがい知ることができません。
下写真は土山南公園の出入口ですが、左端の擁壁の上部がNo.1481です。
とりあえず坂道を下りて、園内主要部へ向かいます。道の側に見えているのは、隣の学校のグラウンドで、公園とは行き来ができません。
坂道を100メートルほど歩いて、複合遊具がある広場まで来ました。
東向きにゆるい傾斜がある斜面地に、木製パーツを多用した砦型のものです。斜面で子供たちが遊ぶほどに足元の土が流れやすいためか、広くラバーマットが敷かれています。
見た目には大きく見えますが、デッキ部分が広く、パーツとしては滑り台、ラダートンネル、鎖はしご、登り棒など、わりとシンプルな構成です。
ここから見上げると、ガケの途中には、No.1483 土山町中公園を付帯させていた階段状のマンションが見えます。
立ち位置を少しずらせば、No.1481の隣に建つマンションも。震災後に開発された大型マンションが建ち並ぶ尾根の様子がよくわかります。
複合遊具から少し下がったところが、25メートル四方くらいの土敷きの広場になっており、公園施設としては、だいたいこれで全部です。
さて、ここは土山町南公園ですが、いまは隣の桜ケ丘町の方から下りてきました。
記事中で見たように、桜ケ丘町の尾根は、阪神・淡路大震災後に大型マンションの開発が進むまでは、街に近いものの山の領域で、ハイキングの人が通るような道でした。
その山道をずっと進んだところに、国宝である桜ケ丘銅鐸・銅戈の出土地があるのですが、現地が山中だと言うこともあってか、一番近い公共スペースであるこの公園に、解説板が設けられています。
ちなみに、解説文では「公園北側の山林」というざっくりした書かれ方をしていますが、北側すぐはすっかり住宅地になっており、実際の出土地は、直線距離で600メートル以上離れた場所です。
■現地の解説板より「桜ヶ丘銅鐸・銅戈(国宝)-桜ヶ丘遺跡-神戸市灘区桜ヶ丘町」
昭和39年に公園北側の山林の中から、銅鐸14個と銅戈7個が見つかりました。今から約2000年前の弥生時代に、当時の最先端の技術を使って作られたものでした。この銅鐸の中には、下の写真のような絵のかかれた銅鐸も2個ありました。このような弥生時代の技術力の高さを示すものが大量に見つかった意義は大きく、現在は国宝に指定され、神戸市立博物館で展示されています。(神戸市建設局・神戸市立博物館)
この出土地については、60年前の発掘当時、その場所が民有地だったことや、そこへ至る山がどんどん開発されて地形もすっかり変化したために、長らく正確な場所がわからない状態が続いていたのですが、地元の毎日登山愛好家の方々が調べてまわり、2016年になって場所が特定されたという経緯があリます。
なので、この解説板が書かれた頃には、どこだったかイマイチわからない時期だったために、このような書き方になったのではないかと推察します。
銅鐸出土地よりも、谷向いの鴨子ヶ原方面への眺望に優れた土山町南公園でした。
(2024年10月訪問)
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