初見ではなかなか読めない十余二(とよふた)は、明治時代の農地開墾の際に付けられた地名です。住宅開発が進み、住居表示が導入された中でも、本家の十余二はまだ広い範囲に残っているのですが、中十余二(なかとよふた)はかなり狭くなっており、この中十余二第1公園も、住居表示では柏の葉(かしわのは)2丁目にあります。
地名由来について、柏市役所のHPには、次のように書かれています。1~10までは、縁起の良い漢字を入れた佳名ですが、11~13は、そう思うにはやや苦しい名付けです。
江戸時代、この辺りは小金牧と呼ばれる徳川幕府直轄の牧(牧場)でした(中略)。明治維新後、新政府は東京の旧幕臣などの窮民授産を目的として、本格的に小金牧の開墾に乗り出します。明治2年、三井八郎右衛門らが開墾会社を設立し、市岡晋一郎が現場で指揮をしました。そして、開墾と約六千人の窮民の世話をしたのです。開墾の順番に、初富(はつとみ)、二和(ふたわ)、三咲(みさき)、豊四季(とよしき)、五香(ごこう)、六実(むつみ)、七栄(ななえ)、八街(やちまた)、九美上(くみあげ)、十倉(とくら)、十余一(とよいち)、十余二(とよふた)、十余三(とよみ)という新しい村が出来ました。
それはさておき、現在の中十余二第1公園。約3,200平米、1990年に開園した小公園です。
開園年次まで書いたのは「35年の公園にしては、樹木が大きく豊かだなぁ」と思ったから。
感覚的には、樹冠被覆率(ある範囲に真上から光を当てた時に、樹木の枝葉の影で地面が覆われる面積が、敷地に占める面積割合)は70%くらいに達していそうです。
最近は、公園の樹木が大きく、かつ高齢になって、大風の時に太い枝が落ちたり、幹が倒れたりして危ないという理由で、枝打ちなどの手入れではなく、丸ごと伐採されることも多いため、針葉・広葉織り交ぜてのボリューム感は大きな魅力です。
大きな樹の下に、小さな遊具。木製の可愛らしい複合遊具やツリー型のブランコ、シーソーなどがあります。
遊具は、周りよりも数十センチくらい盛土をしたところに置かれており、「木製遊具が湿気を避けるためかな?」などと考えてはみるのですが、真相は不明です。
砂場は低い位置にありますが、だからといって特別に湿っているわけでもないし、考えすぎでしょうか。
そして、おそらく住宅地が開かれた時の、グレードの一種の象徴なのでしょう、「昼下がり」と題されたブロンズ像もあります。
年月を重ねて、住宅地の中での存在感が増しているように思う中十余二第1公園でした。
(2026年5月訪問)









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