尼崎市の戸ノ内地区は、神崎川、猪名川、旧猪名川の3本の川に囲まれた三角州というか、半島のような場所です。
古くは農業集落だったのですが、大正の終わり頃、南端に毛斯綸(もすりん)という織物を扱う毛斯綸紡織株式会社の工場が建設されます。この頃、神崎川対岸の大阪市加島はすでに工場地帯に転じており、そこに入り切らない工場が徐々にはみ出してくる時期だったようです。
で、工場の操業や職工さんたちの利便性などのために、この会社が神崎川を渡る橋を建設し、当時の園田村に寄付します。そこで、この橋の名が毛斯綸大橋。
工場は80年前に空襲で焼失したので、実際に稼働したのは20年ほど。橋も大阪市の橋として架け替えられていますが、地元ではモスリン橋と呼ばれ続けているようで、この橋の袂にあるのが、もすりん橋公園です。
古くからの歴史を述べてきましたが、公園ができたのはわりと新しく、周囲の住宅地区改良事業の一環で2012年(平成24年)に開園しています。
戸ノ内地区としては南の玄関口でもあり、橋上からも道路からもよく見えるシンボリックな公園となることを意図していると感じられます。
橋の上から眺めて、左端の樹々が茂っているところがもすりん橋公園。その隣の神崎川の高水敷は、市が設置する戸の内緑地として、また別の公園になっています。
堤防の上も旧猪名川に沿う遊歩道になっているので、まずはこちらから園内に向かいます。
堤防道路から下りていく階段横には、お地蔵様が祀られています。
下りて園内。
南側は、中央に大きな石の山遊具が置かれた広場で、この公園の中心空間でもあります。
石の山遊具は、最近は新設されることがさほど多くないのですが、つくればやはり人気が出る遊具のひとつです。
ここのものは新しいだけあって、頂上には柵を設け、滑り台の縁は少し高めに、周囲には柔らかいゴムマットを敷くなどの安全仕様になっています。
滑り台以外のガケ登りパーツも各種充実しており、遊びごたえがあります。
斜めの崖登りでは満足できなくなった子どもたちには、より難易度が高い登攀壁もあります。
ちなみにこの広場は、大雨が降った時に表面に水を貯めて、一時的に貯留させる機能を持っています。ですので、大雨上がりにはしばらく遊べなくなります。
つまり、広場と、一段上の休憩所がある場所との高低差がミソということです。
実際、戸ノ内地区は、周りをすべて川と堤とに囲まれた輪中のような地形になっており、内水を川に逃がしにくいため、水害を避けるあの手この手の工夫が必要です。
そして、休憩所。ここから見えるバスロータリーが、この公園のもう一つのミソです。
このように、公園とバス停留所の回転用地が一体的に整備されています。
本ブログでは、駅前というラベルを付けていますが、交通結節点として多くの人が行き交う場所に公園緑地を組み合わせることで、公園としては人が集まったり滞留しやすくなり、通勤客などにとっては日常的に緑に触れる時間が増えるといったメリットがあります。
用地としては、停留所の島部分や道路部分はもすりん橋公園の区域ではないと思うのですが、設計・整備は一体的であり、とくに島部分は園内にない舗装路面なので、スケボー少年たちがふんだんに活用している模様です。
ただ、欲を言えば、この舗装面にも、もう少ししっかりとした植樹をして管理して欲しかったという気持ちはあります。植桝はあるのですが枯れている樹も多く、昨今の都市環境を考えれば、舗装面にまったく木陰が落ちないのは、夏場にバス待ちをする人たちにとってストレスが多いだろうと思います。
橋上からの景色も美しい、もすりん橋公園でした。
(2024年10月訪問)
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