3764/1000 烏帽子形公園(大阪府河内長野市)

2024/10/14

河内長野市 山の公園 史跡 城跡 大阪府

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さて、その姿を烏帽子に見立てた「烏帽子山」とか「烏帽子岩」といったものが各地にありますが、たいていはピンと来ない形をしています。

そもそも烏帽子にもいくつかの形というか被り方があるので、おそらくは格上の立鳥帽子に見立てているのだろうと思いつつ、あまりそうは見えない時は、庶民に身近な折烏帽子かも知れないと思い直してみたりします。

小学館デジタル大辞泉より引用

そんなこんなでやってきた、河内長野市の烏帽子形公園。中世~近世にかけての山城・烏帽子形城跡がある烏帽子形山を公園区域とする大きな公園です。

以前は城跡は国史跡ではなく、園内に市民プールがあったので、どちらかといえば「プールがある公園」として認識されていたと思うのですが、2012年(平成24年)に国史跡に指定され、その後に市民プールが廃止されたため、今はすっかり「山城がある公園」に変わりました。

市内の公園でも共通サイズの小さな園名柱の隣に、大サイズの城跡解説板が置かれているところにも、その変化が感じられます。
しかし、大きいとはいえ設置場所が斜面途中の変な場所なので、おそらく近視の方はほとんど解説文が読めないと思います。私も読めませんでした。

さて、山の南側にあるメインエントランスから園内に入ると、まずプールがあります。
もともとの公園のメイン施設なので、一番良い場所を占めているわけですが、すでに閉鎖されて10年くらい経つので、外観はかなり草臥れてきています。

ぐるっと回り込んで、プール内が見えるところへ来ました。
老朽化が進んで廃止されたわけですが、そこからも放ったらかしなので、かなり荒れた雰囲気になっています。撤去するのにもお金がかかるものですが、どこかで踏ん切りをつけるほうが良いでしょう。

周りには小さな園地もあるので、プールを撤去して一体的に再整備すれば、もっと良い空間が作れることでしょう。

プールの横から頂上方向へ真っ直ぐ登る近道もあるようなのですが、今回は少し西に回って、緩やかな道を進みます。
すると、わんぱく広場と名付けられた園地が見えてきました。

園内では唯一のまとまった平地で、芝生広場として整備された中に、木製の複合遊具とターザン遊具が設置されています。

山城跡の公園ということもあって、派手目な色彩は抑えて、周りの雰囲気に合わせています。

河内長野は大阪府下では林業が盛んな地域なので、木製遊具にも、林業に親しみを持ってもらうといった役割が乗っかっているかも知れません。

そこから山道に入ると、しばらくは竹藪やらアカマツ林やらの楽しげな山道を進むのですが、しばらくすると、急に様相が変わります。

このあたりからですね。山道を歩いてきたはずなのに、なぜか急に堀の底にいます。
こんなところを歩いていたら、崖の上から攻められて、すぐに撃退されそうです。

うまい具合に解説板があって、ここが堀の底だということがちゃんと書かれていました。

■現地の解説板より「烏帽子形城の構造」

烏帽子形城跡には、山頂に曲輪という平坦地があり、それを防御するように横堀と土塁が北西側を除いて三方向に取り囲むようにのこっています。曲輪の北西側は急な崖となっており、その下を流れる石川は堀の役割を果たし、地形を生かした天然の要塞と言えます。
横堀は、二重になっている場所もあり、また、深さも土塁の頂上から堀の底まで約10mあり(現在は堀内に土が堆積しているため約8m)、容易に敵が攻めて来られないような構造となっています。さらに、発掘調査の結果、横堀の曲がり角の底には、堀内障壁という約2mの垂直の段差が設けられていました。
ここで立ち往生した攻め手側へは、曲輪と土塁の上から攻撃を加えることができ、烏帽子形城の中心部である曲輪には、なかなか到達できない構造となっていました。(平成29年2月 河内長野市教育委員会)

山城の守りを実感できることは嬉しいのですが、両側の崖から水や落葉が集まってくるので、公園の園路としては、とても歩きにくい道です。
とくに雨上がりでもないのに足元が泥だらけだったので、道端の倒木を丸木橋のように渡りながら進みます。


頑張ってもう少し進むと、頂上の曲輪跡に着きました。
ここには土壇上の礎石建物跡が再現されています。

■現地の解説板より「礎石建物跡」

現在地は、曲輪という烏帽子形城跡の中心部です。ここでは、発掘調査で見つかった2棟の建物の礎石を地上に再現しています。礎石は、建物の柱などを支える平らな石のことで、柱の腐食や沈下を抑えるために地面に設置されました。また、礎石建物跡の近くで多くの瓦が出土していることから、この2棟の建物の屋根には瓦が葺かれていたと考えられます。烏帽子形城のような中世の山城に瓦葺の礎石建物があることは、大変珍しいと言えます。
瓦葺の礎石建物は、大坂城や姫路城などの近世の城では、天守閣をはじめ多くの建物に見られることから、烏帽子形城は中世の山城と近世の城を結ぶ過渡期の姿をしていたと言えます。(平成29年2月河内長野市教育委員会)

今は山頂の周りに樹木が多いですが、城として現役だった頃はまったくなくて、四方を見渡せたものと思います。
とくに、ここの城からは北の河内平野~泉北方面を見張る必要があるので、そちらの方に視界が開けやすくなっています。

曲輪の端っこまで行って眺めるとこんな感じ。写真にすると霞んでいますが、遠くの方には大阪市街地のビル群まで見えます。

無理やり電子ズームで拡大すると、このようになりました。
20キロ以上離れていますが、ハルカスを頂とする天王寺界隈のビル群が見えています。これだけ見えるのなら、敵が攻めてくるのを見張る甲斐もあります。

帰りは、山の北側に向けて下ります。
こちらは南側よりもかなり急な崖地形になっているので、下りの帰り道に選んで正解でした。

そして北側に降りたところは、隣接の住宅地向けの遊び場になっていました。

結局、園内にいる限りは山の全容は見えないので、烏帽子の形をしていたのかどうかはわからない烏帽子形公園でした。

(2024年3月訪問)

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