3756/1000 祖原公園(福岡市早良区)

2024/10/06

山の公園 史跡 身近な公園 福岡県 福岡市早良区

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福岡市早良区の海辺近くは、かつては浅い入江や干潟が入り組んだ土地で、そこに珍しく標高33.2mで低くそびえているのが麁原山(そはらやま)です。
ブログ作者が、ほかでは見たことがないという漢字を読めるのは、ここが1274年の元寇(文永の役)の際に元軍が陣を敷いたことで有名な土地だからです。
でもやっぱり読みにくいからか、今の町名は漢字を変えて祖原(そはら)と言います。なので、公園名も祖原公園。

山裾の方に遊具広場などもあるのですが、公園としての本質は山と史跡なので、まずは山上へと向かいます。

道すがらには、崖が滑ったのか、滑る前に対策をしているのかはわかりませんが、なにやら工事中で土の中が見える箇所がありました。
30メートルほどの低山とは言え、この傾斜で、濡れると滑る赤土で囲まれていると思うと、攻める側はかなり大変です。

現代の階段や園路もまっすぐではなく、折れたり曲がったりしながら山頂まで通じています。

こういう公園の時は、園路の途中途中に小さな平場や休憩スペースを入れることが多いのですが、ここはわりと一気に山頂まで続く道ばかりで、また林に包まれたところが多いので、小さいながらも”山の公園”の雰囲気に溢れています。

とは言え、何度も言いますが標高は33メートル。階段をまっすぐに進めば、3分ほどで頂上に着きます。
頂上はマツ、サクラなどに囲まれた広場になっており、日常使いでは、ウォーキングがてらにちょっと登ってきて、体操をしたり休憩をしたりするのにほどよいサイズです。

上写真で見ると樹々に覆われてしまっているようにも見えますが、丘陵の北~東方向は樹木を少なめにするよう管理されており、広場の北端あたりまで行けば、元軍が上陸してきた百道浜~博多方向への視界が開けています。

その方向は、つまりは合戦の舞台を見渡しているということなので、ここに「元寇麁原戦跡」の石碑と解説板が建てられています。

しかし解説板にある絵巻を見ると、それほど山でもありませんね。
まぁ小さな山ですし、何万人もが攻めてきたわけなので、ここを中心に見張りなどを置きつつ、周りの平地にも陣を構えていたのでしょうか。

■現地の解説板より「麁原(そはら)元寇古戦場跡」
鎌倉時代の中頃、1274(文永11)年10月、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(元)とそれに服属した高麗王国の連合軍は、日本を侵攻するため、朝鮮半島を出航しました(文永の役)。対馬、壱岐、平戸島、鷹島、能古島に襲来した元軍は、博多湾に現れ、今津、百道原に上陸します。これを迎え撃った日本軍は、赤坂、鳥飼の一帯で元軍と交戦し、元軍は麁原(現在の祖原)に陣を構えました。その後、元軍は侵攻を断念して日本から撤退します。
この文永の役後、鎌倉幕府は、再度の元の襲来に備えて石築地(元寇防塁)の築造をすすめ、1281(弘安4)年5月、再び日本に襲来した元軍を退けました(弘安の役)。ここ祖原山は、元寇の記憶を今に伝える大切な役割を担っています。

さて、南の山裾に降りて、遊具広場に。ここだけでも見ての通りの広さがあり、ご近所の遊び場としての役割を十分果たせるサイズで、複合遊具、ブランコ、トイレ、広場などがしっかりと配置されています。

複合遊具は、手の長いおサルとかバナナとか、ジャングル風のデザインのもの。

欲を言えば、ここは是非モンゴル風のものを考えて欲しかったようにも思うのですが、「子どもたちにも伝わるモンゴル風」というと、なにを題材にすべきか迷いますので、仕方がないところかも知れません。

歴史に触れた祖原公園でした。

(2024年2月訪問)

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