3116/1000 南風原町津嘉山の小公園(沖縄県南風原町)

2022/09/26

沖縄県 広場の観覧席 身近な公園 南風原町

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南風原町の津嘉山(ツカザン)地区は、旧道沿いには王府時代からの歴史を持つ集落が、バイパス沿いには新興の住宅地が広がっているのですが、新旧の間には地形的な境界などがなく、真新しい住宅地を歩いていると急に昔からの区割りの集落に入ってしまうので驚かされます。
そしてまた不思議なのが、そういう場合は「新住宅地には計画的につくられた小公園があって、旧集落にはない」というのが相場なのですが、ここでは逆になっています。

代わりにバイパス沿いに津嘉山公園という大きな公園が整備中なのですが、まだ開園してはいないので、今回は旧集落の中の小公園・広場などをいくつか訪ねてみます。

まず、西(イリ)あしびなー。舗装や植栽の様子が真新しく、わりと最近にリニューアルされたものと思われます。

沖縄では集落の行事や集まりに使われる広場を「遊び庭:あしびなー」と呼ぶので、ここも単純な遊び場と呼んでしまうと少し違うのですが、舗装広場と芝生地、ベンチなどがあって、日常的には子供が遊べるスペースになっています。

外周の芝生地の中には、揺れる動物遊具が設置されています。

お祭りの時に旗竿を立てる杭のようなものが2本あって、そこに広場の解説板がありました。

■解説板より「西(イリ)・あしびなー」
あしびなー(広場)は、大屋(ウフヤー)の前にある広場で、戦前の村屋(公民館・集会所跡)である。伝統行事である綱曳きは、ここから旗頭や鉦鼓隊とともに、現在では津嘉山小学校・幼稚園となっているウマイーまで練り歩く道ジュネー(スネーイ)を行う。
綱曳きの準備や行事の場として活用されます。

広場を見渡せるスタンド席も、お祭り用の仕様だといえます。

一方、100メートルほど離れたところにある東(アガリ)あしびなーは、西の半分ほどの広さで、ここにも旗竿を立てるための杭があります。
しかし普段は駐車スペースとして使われているようで、ここはさすがに遊び場と呼ぶわけにはいきません。

■現地の解説板より「東(アガリ)・あしびなー」
あしびなー(広場)は、ノロ殿内(琉球の女司祭の住居)の前にある広場である。
伝統行事である綱曳きは、ここから旗頭や鉦鼓隊とともに、現在では津嘉山小学校・幼稚園となっている馬場(ウマイー)まで練り歩く道ジュネー(スネーイ)を行う。
綱曳きの準備や行事の場として活用されます。

解説の内容が西あしびなーと同じだったので、「けっきょく綱曳きの出発点はどっちなの?」と思いましたが、綱曳きなので集落の東チームは東あしびなー、西チームは西あしびなーから出発するのだと思い直しました。

伝統的な広場空間としての東あしびなーなのですが、現状のオープンスペースとしては、すぐ北側のノロ殿内の方が広いくらいです。

ノロ殿内には建物やヒンプン、井戸、フールー(便所)などが残っています。
訪問時は、敷地内は自由に見学できましたが、建物は戸が閉まっていました。

諸々の事業の正確な区切りなどはわからないのですが、写真奥の擁壁の上は、また別の公園になっています。

その「別の公園」からノロ殿内越しに津嘉山集落を眺めます。正面やや左の丘の上に見えているのが、道ジュネーの行き先となる元・ウマイーの津嘉山小学校・幼稚園だと思います。

この「別の公園」は正式名称がわからないのですが、国道バイパスのトンネルに沿って造られており、トイレや駐車場もあるので、整備中の津嘉山公園の一部にあたるのかも知れません。

この名称不明公園の東端から集落内へと向かう道沿いに、小さな遊び場がありました。
現地の集落案内板には「共同池跡」と書かれていたので、使われなくなった水場を遊び場へと転用したものと思われます。

遊具は滑り台とブランコがあるのですが、ブランコはよくある2連ブランコの横に梁が突き出して、そこにタイヤブランコが取り付けられています。
タイヤブランコは一般的な座板ブランコと比べると重く、また色々な方向に力がかかるため、このような片持ち梁形状で支えるのは少々不安です。でも、ここのものは長持ちしているようなので、しっかり丁寧につくられているのでしょう。

座板部分にも座布団のようにゴム板が取り付けられており、なにかと丁寧な作業が目に止まります。

いろいろ訪ねた南風原町津嘉山の小公園たちでした。

(2022年3月訪問)

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