2934/1000 青谷川公園と青谷川街園(神戸市灘区)

2022/02/14

神戸市 身近な公園 兵庫県

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ずいぶん前にNo.1714 青谷町公園の回で登場した青谷川(西郷川)ですが、その東岸沿いに細長く、青谷川公園が設置されています。

神戸市では、戦災復興事業の一環で市街地を南北に流れる川沿いを原則的に緑地帯(公園緑地または帯状道路)として都市計画決定しているのですが、ここでは王子公園に隣接する600mほどだけが青谷川公園として開設されているようです。

それでは上流側から。川と道路とに挟まれて、有効幅は2メートルくらいしかないところから始まり、しばらくは緩い傾斜のある園路が続きます。

少し進むと、コンクリート製の動物遊具がある砂場と、その横にぶら下がり健康器のようなものがある平場に出ます。

子供の遊具のようにも見えますが、おそらく背の高い人でも低い人でも色々な高さに掴まることができるぶら下がり健康器でしょう。

こちらが砂場の動物たち。よくある登って遊ぶだけのものではなく、中に入っても遊べるドーム型になっています。

このシリーズでは、いつもゾウとウサギはよくわかるのですが、

これが何の動物だかわからないのです。
2本の角が生えているのでサイかなぁと思うのですが、ネコのように飛び出た三角の耳や、前のアーチ部分にポッチリと丸く付いている目玉のようなものもあって、本当になんだかよくわかりません。これで「かいじゅう」とかいうオチだったらどうしましょう。

そこからまた傾斜道になりますが、ここは園路の中央にコンクリート製の円柱が並べられています。
その先も平場になっていてブランコやジャングルジムなどがありますので、砂場がある小段と行ったり来たりしながら、道中でも遊べるようになっているわけですね。

とても面白い構造なのですが、地面がコンクリート敷きのところに高さがあるコンクリートの円柱がニョキニョキと生えているので、最近の安全基準からすると扱いが微妙な存在です。

円柱列を通り越した下の段には、回らないように固定された元・回転ジャングルジムや2連ブランコなどがあります。

そして、そこから階段を少し降りたところに、この公園で一番の名物であるロケット型の遊具があります。
遊びの機能としては、大きなコンクリート製の土台部分がトンネルに、突き出した部分がラダー遊具になっています。

コンクリート基礎の背面部分にも手すりのようなパーツがあるので、よじ登ったり、滑り台代わりにして遊んだりすることもできます。

「ロケット型」とは言いましたが、斜め45度に傾いた姿は宇宙ロケットというよりはロケット砲。

あるいは黄色い輪っかがビヨンビヨンと飛んでいく、特撮のレーザー兵器のような佇まいです。

高台から神戸の街を守っている高射砲基地のようにも見えてきます。

神戸港にはキングジョーUキラーザウルスなどの危険な怪獣が眠っているので、こうした超兵器が必要な時代があったのかも知れません。

と、遊び心や想像力を刺激してくれる素敵な遊具なのですが、ラダー部分から転落する恐れがある先の地表部にコンクリートの基礎が突き出ており、ラダーそのものも上下に重複している構造が、今日的には非常にマズイです。
先に登場した円柱よりも先に、こちらのロケットの方が撤去される可能性が高いと思われます。

そして、ロケット遊具のもう一段下に土敷きの広場があって、最上流のブロックは終わります。

一般道の横断歩道を渡って、ひとつ下のブロックに入ります。
さっきまでは横の道路と同じ高さの地盤だったのですが、ここで急に下がった位置に変わります。

このブロックには、上のブロックにはなかった滑り台や揺れる乗り物遊具などが設置されています。

上のブロックと比べると、全体的に新しい印象を受けます。ここ10年くらいの間に、部分リニューアルしたのでしょうか。

乗り物遊具がある小広場の先で、一般道から王子公園へと渡る天城橋が架かっていて青谷川公園の園路は一旦途切れます。
この橋の上から下流側を眺めるとこんな感じ。青谷川公園は川の東(写真左側)なのですが、遊歩道は西(右の王子公園側)だけになっている様子がわかります。

橋を通り過ぎると、また左岸側に下りて歩くことができます(下の写真は、少し進んでから来た方を振り返っています)

天城橋付近の川の西側にそびえるのは、神戸登山研修所という登山競技のための研修施設。ピラミッドウォール、屋外人工岩場などの本格的なスポーツクライミング用の施設が揃っています。

そしてさらに下がってくると、また滑り台やブランコがある小広場に出ました。
もっとも、こちらは川沿いに歩いているから「また」という表現になりますが、さっきの滑り台からは300メートルくらい離れているので、川沿いに住む子供たちからすればそれぞれが最寄りの遊び場ということになります。

滑り台は少し角張っていて、上流にあったものとはタイプが違います。

さらに下がって、阪急電車のすぐ横から上流側を見上げます。
スタート地点から距離で600メートル、高低差で40メートルほど下りてきたことになり、青谷川公園として開設されている区域はおそらくここで終わりです。

そこから川は阪急・王子公園駅の高架と交差するのですが、公園・緑道のネットワークは鉄道でいったん途切れます。
駅南側の下王子橋、西灘橋あたりでは、川の西側(下写真では左側)だけが公園として都市計画決定されています。

駅前で、神戸有数の商店街である水道筋商店街の入口にもあたるこの区間では、「歩道広場」といった雰囲気で整備されています。
さらにここから山手幹線を渡った下流側では、JR線まで300メートルほどの区間の川の両岸沿いに開設済みの緑地が続きます。都市計画図では「青谷川街園」と書かれているのですが、実際に公園として開設されているのかどうかはよくわかりません。

と言うのも、明らかに道路になっている部分にも公園としての都市計画決定がなされているのです。
川の東側は、川-道-緑地-道-住宅という構造になっており、2本道路に挟まれた細長い園地が続きます。

でも、少しだけ幅が広くなったところに、ブランコや滑り台などの遊具が置かれている一角もあります。

一方、この区間の西側は川-緑地-4m道路の構造になっています。東側とは違って緑地内に遊歩道が通っています。

城内橋の近くに、西灘耕地整理の記念碑と西岡先生彰徳碑がありました。川を正面にしているのですが、灌木が茂ってしまってイマイチよく見えません。

でも、逆に道路側から碑文が読みやすいので、ブログ作者のように碑文を読みたがる人には便利だとも言えます。

西岡先生についてはまったく存じ上げませんでしたが、大正時代に西灘村の村長を務め、隣に大きな碑が建つ耕地整理を始め、現在の灘区が都市化を進める段階で必要な大事業の数々に取り組んだ人物であるようです。

■西岡先生彰徳碑・碑文より
西岡安左衛門先生は慶応2年10月7日、武庫郡瓦木村に生れ幼名は卯之吉、性温厚篤実、長じて西岡家を嗣ぎ安左衛門を襲名。昭和17年2月24日逝去。享年75。
夙に志を立て明治大学に法政を究め、後老父の意に従い帰郷、小野柄、雲中等の小学校に教鞭を執ること前後16年、明治45年西灘村長に就任し、西灘小学校の増改築、稗田、摩耶小学校の新設、灘教育会の設立等、専ら教育の振興を図る。又耕地整理の完成、国鉄灘駅乗客取扱の実現、阪国、阪急の乗入の促進を初め、灘信用組合の創設、海面の埋立、背山の開発、河川道路の改修等凡そ郷土の発展福祉の上に貢献する所枚挙に遑がない。
村長在任16箇年に区内の戸数が10倍余に膨張した事にも其の成果の一端が偲ばれる。更に其の間県会議員四期、終に議長の重責を担う等県政上の功績も亦大きい。
加之玲瓏なる人格人を感化し郷風を惇くし陰徳●●人に及んで郷土の父と慕い敬われるに至る。茲に有志相図り碑を建て永く先生の偉徳を顕わす所以である
(●は碑文が読み取れなかった箇所。句読点はブログ作者が適宜挿入)

謎の動物、ロケット兵器から郷土の偉人まで、色々なものに出会った青谷川公園と青谷川街園でした。

(2017年12月、2021年10月訪問)

【2022年10月追記】

記事の要だったロケット遊具ですが、やっぱり老朽化と安全基準非対応が響いて2022年春に撤去されてしまいました。
しかし2022年秋、地元企業からの寄付を受けて新型のロケット複合遊具が設置されました。

遊具としては3本の滑り台を持つ複合遊具ですが、デッキの屋根部分がロケット型をしています。

屋根のほかにはロケット要素が少なめではありますが、2代目は初代とはまた違った魅力で頑張っていただきたいものです。

この角度が、いちばんロケットっぽいかな。両側にブホーッと煙を吹き出しながら宇宙に向かって飛んでいきます。

地元の皆さんに愛されたロケット遊具だったということで、かつての姿を伝える記念碑的看板が設置されることになりまして、本ブログから写真を提供させていただきました。
塗装の剥げた最晩年の姿ではなく、できればもう少しきれいな時の写真があればよかったのですが。

青谷川公園がこれからも地域の皆さんと子どもたちの憩いの場でありますように。

【2023年4月追記】

神戸市が発行していた『市民グラフこうべ』のバックナンバーを読んでいたら、1977年(昭和52年)のNo.60に「子どもが喜ぶロケット風の遊具(灘区青谷川公園)」というキャプション付きで、かつてのロケット遊具の写真が掲載されていました。
これで見ると、最晩年にはあった大きな台座部分が露出しておらず、むしろずっと昔のほうが安全だったように見受けられます。

奥の方に見えるコンクリート柱列との位置関係からして、広場全体の地盤を削り直しており、その時にロケットも改修されたものと思われます。

でもそれ以上に驚いたのは、記事中で「回らないように固定された元・回転ジャングルジム」と書いた物件ですが、この時点ですでに足が生えており、回らないものだったことが明らかになりました。
50年近く前から回らないように改造されて現在に至るのか、そもそも回らない球体ジャングルジムとして設置されたものだったのか。

これはぜひもう一度、確認に行かねば!



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