姫路城下町の西方に、1600年に姫路藩主・池田家の重臣だった荒尾隆重の勧請によって建てられた曹洞宗景福寺(けいふくじ)があり、この裏山が景福寺山。播磨風土記に登場する14の丘の一つだと推定されるシンボリックな小丘です。
この景福寺山の東端あたりが景福寺公園になっていますが、遠目にも荒れ模様の山林で、入っていくことにやや躊躇してしまいます。
現地には案内板があるので、まずは遊戯広場、それからお花見広場、最後に展望広場へと行ってみましょう。
■現地の案内板より「景福寺公園」
当景福寺公園は歴史的にも由緒のある景福寺山にあります。
景福寺山は播磨風土記の14の丘の一つである「船丘」がこの山であると推定されています。
その後、西岸寺山、孝顕寺山、嵐山、群鷺山などと呼ばれてきましたが、山下の寺が景福寺となってから、今のように呼ぶようになりました。
まずは出入口に一番近い遊戯広場。
トイレや水飲み場があり、案内図には遊具らしきものも描かれているのですが、いまは一面の草むら。クズが入りだしているので、放っておくと草刈りもできないくらい大変な状態になることでしょう。
子供の遊びとしては、虫取りができるくらいでしょうか。
しかたがないので山道を進んで、お花見広場へ向かいます。
が、すぐに両側から樹々が枝を張り出させてきて、ところどころに倒木の跡なども見られます。
パーゴラの周りがお花見広場で、確かにサクラやモミジが植えられているのですが、座って休むことはおろか、歩いて進むのもかなり気を使わねばならず、どうにもなりません。
ここまでの惨状に失望しつつ、展望広場へ到着します。
すると遊戯広場に負けず劣らずのクズの茂りよう。土舗装の上にも、どんどん草が伸びてきており、これは展望も期待できなさそうです。
が、広場の端っこまで進むと、なんとか天守閣が見えています。「かろうじて」という言葉が相応しいレベルではありますが。
数年前くらいに、ここの部分の樹木の枝だけを伐り落としてくれたのでしょう。枝が徐々に伸びてきていますが、本当にかろうじて、まだ有効期間内といった雰囲気です。
ここは姫路城天守閣を眺めるのに適した「姫路城世界遺産十景」の一つにも選ばれていますが、おそらく10ヵ所の中で一番、劣化が進んでいるのではないかと思います。
遠くから眺める分には良いのですが、行ってみると大変だった景福寺公園でした。
(2024年8月訪問)
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