神戸を代表する繁華街である元町商店街を西へ出たところに、愛称「きらら広場」と名づけられたポケットパークがあります。
しかし、多くの場合、ポケットパークは役所の付けた名前では呼ばれないもので、ここも神戸市民の間では「機関車広場」「滝のあるところ」「三越の前」などと呼ばれています。
...が、現在は機関車も滝も三越もありません。
下写真で、商店街のアーケードの右隣の大きな建物が、1980年代はじめまで三越神戸店があった場所、広場の左手にある銀色の物件が、かつて滝だったものの名残です。
滝ができる以前は確かに蒸気機関車がありました。
神戸市発行の『市民のグラフこうべ-No.164神戸の広場(昭和61年6月)』にはその頃の写真が掲載されており、「デゴイチが据えられた西元町の広場・グリーンD51」との説明が付いています。
市民のグラフこうべ-No.164神戸の広場(昭和61年6月)より |
これが滝だった頃の写真は手元にないのですが、銀枠の中にアクリル板が入っており、上部から壁沿いに水を落とすというタイプの水景施設でした。
今でも似たような製品は売られていて、大きなマンションの玄関などに使われています。
ただ、最新の製品と比べると、当時のものはアクリル板の質が悪かったのか、設置から数年たつとずいぶん汚らしくなっていた記憶があります。
現地には、そのあたりの経過が書かれた解説板がありました。
これによれば、滝(水の壁)が存在したのは、10年ちょっとの間だったようです。
●現地の解説板より「きらら広場」
この広場は「水と緑と光からなるアーバンオアシス」をテーマに、地域団体の協力をえて公開設計コンペを行い、応募のあった128件の設計提案の中から選ばれた最優秀作品「水の壁・森永俊弥さん設計」をもとに整備を行ったものです。
愛称の「きらら広場」は、全国から提案のあった945件の中から広場のイメージに最もあったものとして選ばれました(平成5年4月完成)
その後、広場のシンボルであった「水の壁」の老朽化が著しく、維持管理が難しくなりました。
そこで、人が集い、活用できる広場へと再生することとし、「水の壁」があったことをイメージできるように、枠の一部を、植栽・花壇を構成する立体的なフレームとして活かし、「緑と光のコミュニティ広場」として再整備しました。(平成16年4月再整備)
平成22年1月
ここに書かれている平成5年(1993)は、その前年に神戸ハーバーランドがまちびらきをしており、JR神戸駅や阪神西元町駅とハーバーランド、元町商店街とを結ぶ交差点になるこの場所を美しくしようという意図があっての整備だったものと思われます。
また、解説板には「愛称の『きらら広場』」と書かれています。
うっすらとした記憶では、できた当時の市資料には「三越前街園」、「元町西広場」など書かれていたようにも思うので、市施設としての正式名称は別にあるのかも知れません。
そんな広場に、もう一つのモニュメント「兵庫県里程元標」があります。
●現地の石碑より「里程元標について」
旅は道連れ世は情けというが、昔の旅人たちにとって唯一の道しるべは里程標であり、これによって明日への旅の希望を抱かせ心の糧となったのである。
兵庫県の里程元標は元相生橋の西詰に在ったが、昭和6年10月、国鉄高架線の完成により相生橋の撤去と共に取り除かれ保存されていたものであり、往時を偲ぶよすがとして、ここに移転復活したものである。
文 及川英雄
元の所在地より西へ約150米移す
昭和35年5月吉日
この「兵庫県里程元標」は、旅人の道しるべとして、明治42年に相生橋の西詰に建てられたものです。その後、昭和35年に湊川神社の正門東側に移されていました。
このたび、きらら広場の改修にあたり、地域の皆様のご要望をいただき、この場所に再度移設しました。
平成16年3月 神戸市
広場ができてから25年。
その間には阪神・淡路大震災が起きたり、ハーバーランド内に地下鉄駅ができたりして人の流れが変わり、今はどことなく寂しい雰囲気になっているのが残念な、愛称「きらら広場」でした。
(2018年11月訪問)
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