1874/1000 茨田公園(大阪府門真市)

2018/08/14

身近な公園 大阪府 発祥の地 門真市

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仁徳天皇が築いた茨田堤で知られる「茨田」は、記紀にも登場する古い地名ですが、古代は「まむた、まんだ」、現代では「まった」と読みます。
そこで門真市にあるこの公園名も「まった」なのですが、元々は江戸時代から当地に暮らした豪農・茨田家の屋敷跡、すなわち茨田堤とは関係なく茨田邸跡となります。
■記念碑より「茨田邸跡」
茨田家は300有余年にわたり連綿と続いてきた当地方きっての旧家である。
天保年間の大飢饉の際、時の茨田家当主郡士は大塩の乱に参画して難民救済に立上がった。
その直系である茨田ひろ氏は昭和44年1月茨田家最後の人として当地に没し、茨田家は事実上廃絶した。
本市は元茨田郡と称し、茨田家発祥の地でもあり深い由縁のあるをもって、大阪家庭裁判所は本市を特別縁故者と認め、旧茨田
を分与した。
よってここに茨田邸跡、ひろ氏終焉の地に記念碑を建立するものである。

昭和48年6月 門真市長 中塚種夫

農家屋敷の跡地なのですが、現在は戸建て住宅に囲まれて、ずいぶん奥まったところになっています。

自動車は通れないような細道(白いフェンスに沿って直角に曲がっている道)で敷地は南北に二分されており、北側が広場、南側が遊具コーナーになっています。

広場は、まぁ広場ですね。これといった特徴はありません。

でも広場の一角には、古い石積み盛土になっている一角があり、なんとなく「土蔵でも建っていたのでは」などと想像が膨らみます。

一方の遊具コーナーは、狭いところに滑り台、サッカーボール型のジャングルジム、2連ブランコなどが上手に収められています。

かつての農村地帯だった頃の門真を偲ばせる茨田公園でした。
■解説板より「茨田邸跡」
茨田家は門真三番村で14代続いた旧家で、持高60石を誇る豪農でした。
11代当主郡士は、大坂町奉行所の元与力で陽明学者として有名であった大塩平八郎の門人となり、「救民」の旗印のもと、天保8年(1837)年2月19日に大坂で起こった「大塩の乱」に参加しました。
茨田家旧蔵品のなかには、大塩直筆の七言律詩や親交のあったことをうかがわせる「金銀出入帳」などが伝来しており、これらは大塩と郡士との密接な結びつきを知ることのできる貴重な資料であり、市立歴史資料館で保管しています。

門真市教育委員会

(2018年2月訪問)

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