1820/1000 松渓公園(東京都杉並区)

2018/06/20

史跡 身近な公園 杉並区 東京都

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松渓公園は、善福寺川を見下ろす北向きの斜面地にある小公園です。
公園名は、隣にある中学校の名前から採られているのではないかと思います。

写真では地形がわかりにくいかと思いますが、下の案内図で、中央の四角いところが園内でも一番高く、両側の曲線的に囲われたところはそれぞれ雰囲気の異なる広場になっています。

小高くなった四角いところには、この公園の下に眠っているという縄文遺跡の解説コーナーになっています。

特段の展示品などはないのですが、園山俊二さん(1935-1993)のイラストで描かれた縄文時代の暮らしと、解説板とがあります。
園山俊二さんなので「はじめ人間ギャートルズ」かと思ってしまいますが、あくまで縄文遺跡の解説用に描き下ろされたものなので、マンモーも原始肉も出てきません。
■現地の解説板より「松渓公園と縄文時代の暮らし」
この公園の地下には縄文時代の人々が暮らした跡が眠っています。
昭和49年、この土地を発掘してみたところ、縄文時代早期(8500年前頃)の土器の欠片や、縄文時代中期(5000年前頃)の住居の跡が発見されました。
住居跡は三軒が発見されました。当時の住居は、地面を半地下に掘り窪めて床を作り、木の柱を立てて屋根を噴いた「竪穴住居」と呼ばれる形の家でした。また、土器を作って煮炊きや木の実などの貯蔵に使い、石器を作って狩りや生活の様々な道具として使っていました。
例えば石器には、石を上手に打ち欠いて作った打製石斧や石の鏃などがあります。打製石斧は、住居に使う木を切ったり、地面を掘るときに使ったりといった道具と考えられています。石の鏃を使った弓矢は、ウサギやシカなどの動物を狩るのに便利な道具でした。また、長い縄文時代の中でも特に縄文時代中期は、土器に立体的な模様を様々に付けた時期で、造形は見事です。
今から、5000年ほど前の縄文時代中期と呼ばれる時代、善福寺川の流れを目の前にしたこの高台には、縄文人たちが豊かな自然に育まれて生活していました。
発見された遺跡は西田小学校北遺跡と呼ばれ、公園の地下に保存されています。

平成26年3月 杉並区

あと、地面にはめ込まれた縄文土器の欠片のようなものも、きっと展示品としての意味があるのだろうと思うのですが、詳細は不明です。

一方、敷地内で言うと少し低いところにあたる2ヵ所の広場。
西側のほうが広く、多目的に使える規模ですが、中央部が丸く仕切られており、その仕切線に沿って香木が植えられているため、サッカーなどには使えない仕立てです。
遺跡ということで、丸い形が意味ありげに見えますが、詳細は不明です。

一方、東側は小学生が走り回るにはちょっと狭いくらいで、そこを園路が取り囲んでいるため、さらに狭くなっています。

人工のせせらぎも通っていて、住宅地の中の小公園にしては、整備時の気合の入りようが伝わってきます。

遺跡はこの公園の最大の特徴ではあるのですが、公園全体を見渡すと縄文時代にも多く使われたケヤキが植えられており、植栽全体がなんとなく縄文風であることにも気づきます。

落ち着いた雰囲気の住宅地に似合った景観をつくり出している松渓公園でした。

(2018年2月訪問)

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