この場所には区民プールと西椎名町公園という小さな公園があったそうなのですが、平成10年代に老朽化していたプールを廃止してNo.1435のスポーツセンター内に新たに温水プールを作ることが決定され、その跡地と西椎名町公園を一体的に再整備して、現在の南長崎はらっぱ公園が2014年(平成26年)に開園したそうです。
こうした新しい公園らしく、住民参加型の公園づくりが指向され、ワークショップなどを経て「防災に役立ち、住民の交流を深め、様々な世代の人たちが楽しく過ごせる」場として、園内をいくつかのゾーンに大別して、原っぱ、ビオトープ、防災施設、遊具広場などがある公園になっています。
手始めに多目的に使えるゾーンから。
と言っても広場なのですが、そこが土敷きではなく草敷きになっているところが「はらっぱ」公園たる所以であり、この公園の持つ価値の基盤になっていると言えます。
この公園の再整備事業は、周辺地区の防災対策計画の中にも位置づけられているようで、多目的広場の周りにかまどベンチなど災害時に使える施設も設置されています。
広場への「緊急避難」において、実際どれほど役に立つのかは不明ですが、市民向けの普及啓発の役割もあるということで納得しましょう。
たまに水場も倉庫もないところにかまどベンチだけが置かれていて、「どうやって使うの?」と思うことがありますが、ここではかまどの周りに水場があって、使いやすさも考慮されたことがわかります。
このほかに、防災用の井戸や普通の水道で使える簡易消火装置などもあって、防災に力を入れている様子がうかがえます。
多目的広場部分と西側の道路との境界部分には、最大幅6~7メートルくらいの非常に混み合った植栽帯があります。
これは豊島区の環境部局が進めている「豊島グリーンプロジェクト」の一貫として植えられた「いのちの森」だそうです。この混み合い具合とネーミング、説明文を読む限りでは、植物生態学者の宮脇昭さんの植栽理論を踏まえたものであるようです。
宮脇さんの理論に対しては生態学のジャンルでも賛否様々な意見があり、またご本人の考えと、それを受けて他の人が実践する植栽との間に乖離があるとの声もあります。
それはさておいて公園管理の目線で見ると、冬でも葉っぱの落ちない樹種を選んで植えるため、このように沿道から公園の中がまったく見えない状況になっている点が好ましくないと思います。
そのあたりを気にしてのことでしょうか、途中に1ヵ所だけ穴が空いていました。
逆に公園東側にある子どものゾーンは、沿道から丸見えの明るい場所になっています。
おそらく、ここが元々あった西椎名町公園の範囲にあたるのだろうと思われます。
遊具の中では、幼児向けの複合遊具と、カマキリの滑り台がよく目立っています。
滑り台はデッキ部にカマキリの飾りが付いているだけで、滑り台としてはいたって普通のものなので、子供たちの評判を聞いてみたいところです。
一方で、リニューアル前からの遺産であろう、コンクリート製の遊び台や土管の遊具も健在です。
ベンチと伝声管を兼ねた遊具もユニークです。
そして、こちらサイドが西椎名町公園の流れを汲んでいるからでしょう、旧町名を解説する石碑が建てられていました。
●碑文より「椎名町」
昭和14年~39年、41年の町名。現在の目白4丁目一部、目白5丁目、南長崎1丁目~6丁目。
江戸時代長崎村の小名から名をとったものである。
と、こんな感じで、地元の方々の色々な思いが詰まった公園なので、利用ルールもユニークな南長崎はらっぱ公園でした。
「うるさいおやじのいる公園」は、 "Park with grumpy old man" と訳すのか。
おまけ.
公園内の切り株に、だれかが据え付けた人形が面白かったので記録。
●豊島区による公園紹介ページ
(2016年12月訪問)
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