1409/1000 南池袋公園(東京都豊島区)

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南池袋公園は、池袋駅から東へ2~3分ほど歩いたところにある街中の公園です。
もともとは戦災復興の区画整理事業で生まれた公園ですが、繁華街の中にあって数年前までは鬱蒼と樹々が茂り、昼間からゴロゴロしている人が多くてあまり気持ちのよい場所ではありませんでした。

ところが地下の工事の関連でしばらく閉鎖された後、2016年(平成28年)に全面リニューアルされて、大きな芝生広場とカフェレストランを持つ最新型の都市公園として生まれ変わりました。

一般の利用者にとっての目玉施設は、こちらのカフェレストランでしょうか。
いわゆる「公園の売店」とは違って、公園全体の運営や安全管理、さらには地域貢献にも積極的に関わることを条件として選ばれた民間業者が入居しており、公園と一体的な存在になっています。

店内は吹き抜けの明るい雰囲気。1、2階とも店舗ですが、2階はイベントスペースにもなっているので、貸し切られてしまうこともあるようです。

芝生広場を望むオープンデッキの席なんかもあって、建物の内外をあわせた色々な使い方ができそうです。

実際わたしが訪れた時にも、店舗2階と屋外の芝生以外で車が乗り入れられるスペースを使って、防災関連のイベントが開かれていました。

そしてもちろん、カフェレストラン以外のお金がなくても遊べるスペースも充実しています。
下の写真は芝生を見晴らすデッキ。前を向いたらベンチ代わりに、芝生の方から見たらステージ代わりになります。

改修前からあった樹の周りをデッキにしたのでしょうか、デッキからニョキニョキと生えている風になっています。
見た目はオシャレですが、雨水が根の方まで届きづらくなるので、樹にとってはいい迷惑だろうと思います。

デッキの端にはコンクリート製の壁があって、一段低い向こう側に落っこちないようになっているのですが、そんなもんでも子供たちにとっては遊び道具になるのですから面白いものです。

ちなみに壁の反対側に回るとこんな感じで、戦後間もなくまでこの付近にあって「根津山」と呼ばれていた雑木林をイメージした模様が描かれています。

もちろん、壁に登って遊ぶだけではなく、ちゃんとした遊具コーナーもあります。
周りがぜんぶ滑り台になった一角は、ふかふかのウッドチップが敷き詰められており、その中にお花のシーソーや回転遊具が置かれています。

さらに、その隣には自由に使える卓球台がありました。たぶんラケットやピンポン玉は自分で持ってこないといけないのでしょう。
最近は日本国内でも所々で青空卓球の設備を見かけますが、通常の卓球台を外に持ち出していることが多いものです。しかし、これは屋外用に開発され、横幅がフェンス幅よりも広いのでアウトになりにくい初心者向けの特製品のようです。

私が10数年前に中国に行った時に、公園や夜市で青空卓球をしている人を見かけて「こんなところに卓球大国の裾野が!」と思ったことを覚えていますが、日本選手もオリンピックでメダルを獲るようになってきましたので、この公園から将来のメダリストが生まれるかも知れません。

その他、公園の外周部に元々あった樹木はかなり整理されて、公園の内外どちらからも見通しのよい構造になりました。

新しく植えられたところも落葉樹が多く、園内が暗くならないように配慮されています。

中にはコンテナ式の樹木植栽もありました。
コンテナに植える理由としては、状況に応じて移動させられるよう、車止めの代わりに使えるよう、樹木が大きくなりすぎないよう、などが考えられますが、訪れた時は園路沿いに普通に並んでいたので、今ひとつ意図がわかりませんでした。

ところで冒頭では戦後の区画整理事業から話を始めましたが、この付近は戦前までは雑司が谷の寺町の外れにあたり、東京拘置所、後の巣鴨プリズンにもほど近い雑木林だったそうです。
根津山と呼ばれていた雑木林は1945年(昭和20年)4月13日の城北大空襲で避難地となったものの、結果的には火の海となって多くの方がここで亡くなられたそうです。またその後は遺体の仮埋葬地となり、別の場所に本葬されたものの残されたものもあって、公園の最初の整備工事の際には多くの白骨が見つかったという話も伝わっています。
そうした話が、園内の小さなプレートに記されていました。
●現地のプレートより「根津山の雑木林」
かつて南池袋公園の周辺には、根津山とよばれる雑木林が広がっていました。昭和20年の豊島区城北大空襲時に、多くの被災者がこの雑木林に生命を救われ、多くの犠牲者がこの雑木林に埋葬されました。
戦災復興事業により根津山は切り崩されましたが、南池袋公園の木々とともに往時の面影を刻印し、地域の大切な記憶や風景を豊島区の未来に継承します。

またもう一つ、改修前の公園から受け継がれたものとして、豊島区空襲犠牲者哀悼の碑があります。
碑とは言うものの金属製のフレームの中に樹脂製の説明資料をはめ込んだ、いわゆる解説板のような体裁をしています。もしかして改修の際に本体の石碑を失ったのではないかと心配したのですが、元々こういうスタイルの碑だったようです。
●恒久の平和を願って-豊島区空襲犠牲者哀悼の碑-
昭和20年4月13日深夜から翌14日未明にかけて東京西北部一帯を襲った空襲は、豊島区の大半を焦土と化し、甚大な被害と深い悲しみをもたらしました。
死者778人、負傷者2,523人、焼失家屋34,000戸にのぼる被害により罹災者の数は161,661人と、実に当時の人口の約7割に及びました。
この空襲によって無念のうちに尊い命を失った数多くの犠牲者が、当時、「根津山」と呼ばれた、ここ南池袋公園の一角において埋葬されました。
先の戦争を通じて空襲の犠牲者となった豊島区民の冥福を祈るとともに、この悲惨な事実を永く後世に伝え、二度と再び戦争による悲劇を繰り返さぬように、この碑を建立します。
平成7年8月 豊島区


と、このように過去の歴史も記しつつ現代風に生まれ変わった南池袋公園ですが、繁華街の中という立地が変わったわけでもないので、夜間管理が大変な状況はそれほど変化がないことでしょう。公園全体がフェンスに囲まれ、夜になるとゲートが閉じられる全フェンス型となっています。

「公園から、町を変えよう」という意欲的な取り組みですので、いつかゲートを閉じなくても良い日が来るように願いたい南池袋公園でした。

豊島区による公園紹介ページ

(2016年8月訪問)

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