1362/1000 富士見丘北公園(東京都杉並区)

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富士見丘北公園は、京王・富士見ヶ丘駅から北へ400メートルほど離れ、人見街道に面した住宅地の中にある小公園です。
ただし公園そのものは街道にはほとんど面しておらず、水路に蓋をしたような細道に面しています。

冒頭でさらっと登場しましたが、人見街道は高井戸と府中を結ぶというローカルな街道の名称で、公園の横に設置された解説板を見て初めて知りました。

●現地の解説板より「人見街道」この前の道は、 人見街道 です。浜田山駅北側の、 井の頭通り の分岐を起点に高井戸東・高井戸西・久我山を通って府中若松町の新小金井街道に接する約12キロの都道です。うち区内延長は約3.3キロです。路線名は府中の人見村にちなむもので、昭和59年4月に正式な通称名となりました。その際旧来の人見街道 (上高井戸の甲州街道から分かれ区南西部の区境辺を走っていた)の道筋変更がはかられ、区内を含む上の部分が新しく人見街道に組み込まれたのです。これが久我山街道と呼ばれていた道です。この道は、区内の古道の一つで、武蔵国府府中(今の府中市)から大宮(今の埼玉県)に行く大宮街道、下総の国府(今の市川市)へ通ずる下総街道の道筋であったと言われ、近世以前は東西を結ぶ重要な道路であったと考えられています。江戸時代に入って甲州街道 ができると、 脇街道的な性格を強め府中道などと呼ばれました。近くの久我山5-9の辻にある石塔には「これよりみぎいのかしらみち」とあり、井の頭への道として利用されていたこともわかります。その後、昭和初年に久我山駅辺の直線化や拡幅などの改修が行われ今日に至っています。道筋には、都の天然記念物横倉邸のケヤキ並木を始め、古刹松林寺、大熊稲荷神社、二基の庚申塔などの文化財が点在し、その歴史を証言しています。
 平成6年3月 杉並区教育委員会

公園の敷地は、人見街道に面した間口が狭く、奥に行くに従って広がる変則的な形状をしています。下は少し広くなったところから、一番狭くなる角の方を見たところ。
なんとなく、元々の水路や里道によって区切られたヘタ地の有効活用として公園にしたような雰囲気があります。

変則敷地の常で、できるだけ広場部分を広く取るために、遊具は隅の方に並べて設置されています。
滑り台や2連ブランコ、砂場など、非常にオーソドックスなものばかりです。

トイレは杉並区内でよく見かける、屋根の中央が低く両側が高くなった形状をしています。
建築用語でどう呼ぶのかは知りませんが、私の心の中ではフクロウ博士タイプと呼んでいます。なんとなくイカ帽をかぶった物知りフクロウのイラストを思い出してしまうのです。

この公園のすぐ隣には区立の保育園があるのですが、間には無愛想なブロック塀があって、積極的に両者を繋ごうという意図は感じられません。
公園と公立の保育園・学校は、どちらも地域コミュニティの要になるものなので、私自身はもっと一体的に運営されるべき、見た目のデザインでも一体感を持っておくべき、というように考えていますが、これについては自治体によって考え方がまったく異なるので、ここではこんな感じだということで。

杉並区による公園紹介ページ

(2016年6月訪問)

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