日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2016年12月13日

1353/1000 六義公園(東京都文京区)

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六義園(りくぎえん)は、もとは徳川綱吉の側近として活躍した柳沢吉保が1700年前後にかけて築いた大名庭園です。明治になって岩崎弥太郎が購入、昭和になって岩崎家から当時の東京市に寄贈され、現在は国の特別名勝に指定されて都立公園として有料で公開されています。

さて、この六義園に隣接して、区立の六義公園があります。公園敷地は、もともとは六義園の一部だったようですが、東京市へ寄付された後にスポーツ施設や児童遊園として整備された区域にあたります。
東京都公園協会監修・森守著の東京公園文庫19「六義園」に、当時の新聞記事が紹介されていました。
●天下の「六義園」を岩崎男が寄附 市で体位向上に開放
-東京朝日新聞 昭和13年4月16日付け-
帝都第一の名園として海外に喧伝されている清澄庭園1万5千坪を先に東京市に寄附した岩崎久弥男が今度は国民の体位向上に利用して貰いたいと15日、本郷駒込別邸3万坪(時価7万円)を東京市に寄附申出を行った。
東京市では市長代理として井下公園課長が岩崎邸を訪問して寄附を受領し、近代的スポーツ公園としての施設を行い600万市民に開放することとなった。
この別邸は徳川五代将軍綱吉の頃飛ぶ鳥も落とす権勢を誇った老中柳沢出羽守吉保の下屋敷とし築造したもので諸侯は先を争って諸国の名木名石を持寄ったので工事は驚くべき短日月で完成し詩歌に所謂六体六義の語に因んで六義園と名付け園内の十二境八景は、その美麗な風致を天下に誇ったものである。
東京市ではさきに開放した清澄庭園、後楽園と並んでこのスポーツ公園の新登場によって市民公園の充実を喜んでいる。

この記事だけ読むと庭園がすべてスポーツ公園になるかのような論調ですが、実際は3万坪(約9.9万平米)のうちの約1.2万平米が現在の六義公園となっています。
ただ、上の本に出ている、寄付されてから間がない時期の図面を見ても、六義公園の部分は空白になっているため、もともと屋敷の建物や庭園のバックヤードなど、庭園本体ではないものがあった場所なのではないかと思われます。

しかし煉瓦塀は六義園からひとつづきです。この壁の100メートルほど先に、六義園の入り口があります。

さて、重厚な門を抜けて左にずっーっと進むとグラウンド、右側が遊具広場になっています。

こちらが「六義公園運動場」と呼ばれるグラウンド部分。少年野球場くらいの規模です。
グラウンドの真ん中に一本だけクスノキが植わっているのが面白いところです。

遊具広場と呼んだ部分も、植栽の様子で2つに分かれており、下写真の部分は樹木が小さめで明るい広場になっている箇所です。
こちら側には、どちらかと言えば幼児向けの遊具が多く配置されています

遊具の向こう側に見える森のような部分が六義園。煉瓦塀だけではもの足らず、緑色のフェンスで嵩上げをして侵入を防ぐ構造になっています。
今よりも悪ガキが多かった時代には、塀を乗り越えて庭園に入り込む子供も多かったのではないかと思われます。


上の方で「樹木が小さめ」と書きましたが、大きくなりすぎた樹木は伐採された様子もありました。
大きく育った樹を伐るのは忍びないのですが、弱って枯れそうな樹が遊具の側にあると枝が落ちたりして危険ですので、管理上はやむを得ないところです。

ひるがえって、こちらは大きく育ったケヤキ、クスノキの下で遊ぶ林間のアスレチック遊具広場。どちらかと言えば小学生以上向けの空間です。

けっこう難易度が高めの遊具が多く、国民の体位・体力の向上に役立ちそうです。

この雲梯も迫力があっていいですね~。上を渡るには高め、下にぶら下がるにしても出だしの取り付きが大変で、色々鍛えられます。

さいきんあまり見かけなくなった、吊り輪もありました。だいたいぶら下がった後、なにをすれば良いのかわからなくなるタイプの遊具です。
一度に4人で遊べるサイズですが、一辺だけ輪っかが無くなっていました。

隅の方にバスケットゴールもあるのですが、まわりが前述のような調子なので、クラブ活動だったら補欠はアスレチック遊具で体力強化、レギュラーだけがここでシュート練習と分かれてしまいそうです。

また機会があれば、六義園の方も記事になるかも知れません。

(2016年6月訪問)

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