日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2016年6月15日

1200/1000 花隈公園(神戸市中央区)

0 件のコメント :
花隈(はなくま)公園は、戦国時代に築かれた城跡の一部を公園としたものです。
市街地にあり、石垣を模した外観はJRの車内からもよく見えるため、神戸市民には馴染みのある公園の一つです。

しかし、この石垣は公園にする時に「お城っぽく」仕上げるために作られた外装で、歴史的にはなんの意味もありません。
では公園の場所が花隈城の中の何であったのかと言うと、現地の解説板を読んでもよくわかりません。とは言え、北方から伸びてきた台地が海辺に向かって落ち込む突先にあたっており、行き交う船や海沿いの街道を見張るための櫓か見張り台があったのではないかと想像できます。

●現地の解説板より「花隈城跡」
花隈城は、永禄10年(1567)織田信長が中国へ勢力を伸ばす手段として、この土地に、摂津の有力な武将荒木村重に命じて築かせた城である。のち天正6年(1578)村重が信長にそむいたとき、花隈城は池田信輝らに攻められて、天正8年(1580)8月2日ついに落城した。
城の地点は海に面して突き出たハナクマの名の通りの台地で、海陸の要害地である。城の規模は古図によると、本丸の西北隅に天守、東南隅に櫓を設け、二の丸、三の丸と北に続き、その東に侍町と足軽町があり、近世城郭の形態を完備した偉容を示していたと伝えられるが、建物の構造などは詳しくわからない。城の西には花隈町があった。
現在の地形では大体東は県庁、西は善福寺(モダン寺)、南は国鉄高架線、北は市電山手線の区域で、東西約350メートル、南北約200メートルであったと思われる。
昭和44年3月

戦国時代末の短い期間だけの城ですから、後になって地形などを見ながら「だいたいこの辺が城の区域なんだろうな」と検討をつけるしか無いわけですが、大正~昭和始めの地図を見ると、地図ごとに城址の記載位置が違っていて、当時の関係者達の苦労が伺えます(下図3点は、国際日本文化研究センターの所蔵地図データベースより引用 http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/)。
まぁ、いずれの場所も城内には違いないのですが、公園ができたことで「花隈城はここですよ」と言いやすくなったのではないかと思います。
神戸市全圖 : 最近調査実測明細(1913;大正2年)
神戸都市計畫圖(1926;大正15年)
實地踏測神戸市街全圖(1930;昭和5)

さて現在の公園ですが、通勤電車から毎日見ていても、実際に入ったことがある人は少ないかもしれません。
なにしろ幹線道路に面したメインの出入口がこの狭い階段ですから、利用者を楽しく招き入れる構造にはなっていません。

もう一つ別の出入口も、ほぼおなじ構造。
ちなみに階段の隣にある鉄扉は、公園の地下にある駐車場用の設備です。

とは言え、お城はお客を迎え入れるものではないので(城じゃないけど)、諦めて上っていくと、頂上は広場になっています。

ただ、有効面積全体を広く使うのではなく、細かく段切りをしてお城の櫓台、天守台風の盛り上がりを作っています。おそらく、公園になる前の地形とはあまり関係なく作ってあるように思うのですが、詳細は不明です。

その中で、城内最高峰はこちら。いちおう天守台風です。

往時は大阪湾を望むことができたのでしょうが、今となっては港にある高さ108メートルのポートタワー(中央の赤い塔)の先が少し見えるくらいです。

広場の一角には、明治生まれの侯爵・池田宣政の揮毫による石碑が復元されていました。
宣政は岡山藩池田家の直系の当主ですので、記事の上の方で出てきた池田信輝(恒興)の家系に連なる人物です。

■石碑の解説板より「花隈城趾」
この石碑は、平成7年1月17日の兵庫県南部地震により倒壊し破損したものを、資料に基づき新たに模造し復旧したものです。(神戸市)

その横には、東郷平八郎が使ったという井戸「東郷井」の記念碑があります。
もっとも、この場所に井戸があったわけではなく、井戸があった神港倶楽部を引き継いだ川崎重工の保健会館が2012年(平成24年)に閉鎖・売却されてマンションが建つことになったため、石碑だけを移設保存することになったものだそうです。

■現地の解説板より「碑・『東郷の井』由来」
明治維新以降の近代化の道をすすむなか、神戸小野浜造船所において初代戦艦大和が建造(1883/11/23起工)されました。まだ川崎造船所や三菱造船所はなかった時代です。建造監督官として東郷平八郎が就任して、進水(1885/5/1)から就役(1887/11/16)までの概ね一年間、花隈の神港倶楽部に滞在していました。戦艦大和が進水すると初代艦長(1886/5/10)に就いています。
ロシア・バルチック艦隊に勝利(1905/5/27)して、世界の海軍提督と賞賛されたことから神港倶楽部が、神戸滞在中に東郷平八郎が毎日朝夕に使用していた井戸を、記念して石碑「東郷の井」を建立(1930/5/19)したのです。
命名を当時の海軍大将・財部彪、書を海軍中将・小笠原長生が揮毫しています。
井戸は、花隈町7-16の今では歩道となっているあたりです。
花隈町の歴史やできごとを伝えるべく、石碑を移設して保存しています。
2015年5月10日
神港倶楽部は、1896年11月25日から12月1日の間、日本初の映画上映をしています。

東郷が滞在していたという神港倶楽部は、上で引用した1913年(大正2年)の地図にも出ていますが、現在の花隈公園の少し北にあった社交クラブです。
ただ、この倶楽部の建物について取りあげた2015年11月30日付けの神戸新聞の記事では1890年(明治23年)設立となっており、現地の解説板で東郷が滞在していた時期(1885~1887)にはまだ無かったことになっています。おそらくは「後に倶楽部として使用される宿屋か、空き屋敷に滞在していた」のではないかと思うのですが、調べ不足でよくわかりません。
年表・地図とも神戸新聞NEXT
「映画発祥の地」写真発見 神戸・花隈の社交場「神港倶楽部」より引用

軽く調べただけでは、かえって情報が混乱してわかりにくくなってしまった花隈公園でした。

(2016年2月訪問)

0 件のコメント :

コメントを投稿