一説によれば、「大坂冬の陣・夏の陣の時、伊達家がここに壕を堀り陣地としていたが、その跡を掘り進んで川としたことから始めは伊達堀(だてぼり・後には、いたちぼり)と呼んでいた。その後、堀端で材木の立売(たちうり)が許されたため字は立売堀と改められたが、それまで通り『いたちぼり』と読ませた」と言われています。
http://www.city.osaka.lg.jp/nishi/page/0000001048.html#townname02
しかし、たいていの本に出ている布陣図では、伊達家は冬の陣で生玉神社の南、夏の陣では天下茶屋付近に布陣しており、立売堀からは随分離れていて自分としてはどうにも納得のいかない地名起源の一つです(現在の立売堀は、冬の陣図で「池田忠継(進路)」と書かれているあたり)。
大坂冬の陣 両軍布陣図 日本大百科全書(ニッポニカ)より引用して表示 |
大坂夏の陣 両軍布陣図 日本大百科全書(ニッポニカ)より引用して表示 |
それはさておき現在の立売堀公園。
大きなマンションの横にある細長い公園ですが、細長さは堀の歴史とは関係なさそうです。逆に、周囲からは少し盛土された形になっています。いや、道のほうが低いのかも。
園内には幼児向けの遊具が少々と、屋根がすっかり無くなった休憩所などがあります。
あまり公園とは関係ないのですが、50メートルほど離れたところにあるサムハラ神社の漢字表記が凄いのでパチリ。それぞれの字もまず書けませんが、同じ字で「サ」と「ム」を読み分けるのも大変です。
これを見てしまうと、「立売堀(いたちぼり)」くらいで難読と言っているのが恥ずかしくなってしまう立売堀公園でした。
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