その名を残すのが西長堀公園。資料によれば長堀川の埋め立て完了は1971年(昭和46年)、公園の開園は1976年(昭和51年)のことです。
江戸時代、この付近には土佐藩の蔵屋敷があり、土佐名産の鰹節を取引する鰹座があったそうです。このため、公園が面している交差点の名前も「鰹座橋」。もともとは長堀川に橋が架かっていました。
■現地の解説板より「西長堀川と鰹座の跡」
寛永2年(1625年)開削された長堀川は、西横堀川以西を西長堀川とよばれた。
東から12橋が架けられていたが、中でも鰹座橋一帯は土佐藩蔵屋敷の広大な敷地で、土佐の産物は主としてこの辺りに陸揚げされ、材木のほかにも土佐の名産鰹節を取引きする鰹座があった。
もっとも、手元にあった2003年(平成15年)発行の大阪城天守閣の図録『特別展 浮世絵師 初代長谷川貞信が描いた幕末・明治の大阪-「水の都」の原風景-』に掲載されている『萬寿大阪細見図』(1863年(文久3年))で見てみると、鰹座は今の公園(下図で鰹座橋の右側=南側)があるところ(下図で赤囲みの「トサ」としたところ)ではなく、橋の左側=北側に描かれています。
さて現在の公園は、長堀通に沿って細長く、堀割の雰囲気を今に伝える形状です。
植栽とベンチのほかはこれと言って公園施設もなく、歩き疲れた時に少し休むくらいの使い方しかできません。
さらに、公園の西半分は、市民ボランティアの方々が種から花を育て、地域の公園や道路での緑化活動に使う「種から育てる地域の花づくり事業」のための用地として、一般利用者は立ち入れなくなっています。
とは言え、色々な公共用地を比較検討する中でここが良いと判断されたのは、もともと一般利用者が少なかったからだと思われます。
ところで、公園の南側には1958年(昭和33年)に日本住宅公団が建設した11階建の高層アパート「西長堀アパート」がそびえています。
建設当時は長堀川に面する高層建築が話題を呼び、司馬遼太郎や森光子、野村克也なども住んだことがあるとか。
さらに言えば、西長堀アパートの敷地も土佐藩蔵屋敷の一部であり、明治になってからは土佐出身で三菱グループの創業者・岩崎弥太郎が引き継いで自邸を構えた場所です。
公園そのものよりも周囲の方が面白い西長堀公園でした。
●西長堀アパートについて詳しいサイト
(2015年8月訪問)
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