日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2015年2月13日

927/1000 五百池公園(神戸市東灘区)

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五百池と書いて「いおじ」と読む五百池公園は、日本酒の産地として有名な灘五郷の一つ、魚崎郷の一角、魚崎八幡神社の北に隣接しています。
「五百池」は付近の字名ですが、魚崎(うおざき)の旧称である五百崎(いおざき)と関連がある池があったのでしょうか。

現在の公園は東西に細長く、西側がバス停のある道路に接したメインの出入口になっています。
バス停にはベンチがありませんが、すぐ隣の公園内に休憩所が置かれているので、バスまでに少し時間がある時は座って待つことができます。「歩道が狭くてベンチが置けない!」という事情にうまく対応した構造・配置だと言えます。

そこから中に入ると、黄色が鮮やかな複合遊具があります。
滑り台、クライミング壁、ラダートンネル、ネット渡りなどが組み合わさっているのですが、主だったパーツは黄色ばかり。たいていは赤や青をもう少し使うように思うのですが、ここでは黄色への強いこだわりが感じられます。

その先は広場空間になっていて間に広場空間を置いて、ブランコ、鉄棒、ベンチなどが隅の方に寄せて置かれています。

西端の方には揺れる動物が3体。ここも黄色と赤でカラーコーディネートされています。

その動物の間、魚崎八幡の社殿を背景に置かれているのは、たぶんラジオ体操台だと思います。
が、階段もハシゴも付いていないので台上に上がるのは大変そうです。なにか違う用途かも知れません。

再び戻って、東側の出入口付近には、魚崎町道路元標、旧西国浜街道の道標、大木戸森右衛門生誕の地の碑、出雲大社地鎮祭守護地の碑の4つが置かれています。おそらく、公園の再整備に合わせて集められたり、設置されたりしたものだと思います。

区役所の建てた解説板があるのですが、「出雲大社~」については何も書かれていないので、どういう由来のものかがよくわかりませんでした。

■現地の解説板より『魚崎町道路元標・旧西国浜街道の道標』
五百池公園の中に、二つの石碑が建っている。一つは「魚崎町道路元標」で、明治以降に里程を正確に測って各地に建てられた標石のひとつである。
もう一つは、高さ約1メートルの自然石に「左兵庫道 右大坂道」と刻まれている。これは旧西国街道の浜街道にあたった(原文ママ)道しるべである。震災後、地区会館を解体した際に、道路元標と向かい合うように移設された。

また、写真撮影をミスしてしまい、道路元標を正面から撮った写真がありません。写真下、大木戸森右衛門の碑の右後ろ、植え込みの影に隠れているのが道路元標です。

■第23代横綱 大木戸森右衛門生誕の地
大木戸森右衛門(本名 内田光蔵・明治9年5月13日生まれ)は菟原郡魚崎村521番地(現 魚崎南町3丁目)に生まれた。
酒樽職をしていたが明治29年大阪相撲に入り、38年1月大関に昇進し、3場所連続を含む10回の優勝を重ねた。
大正元年12月25日ついに第23代横綱を免許された。ところが横綱在位僅か半年で巡業中に脳溢血で倒れ、その後再起ならず昭和5年11月7日54歳で亡くなった。

旧西国浜街道の道標にある「震災後に解体された地区会館」は、阪神・淡路大震災から1週間後に撮影した写真に写り込んでいました。下の写真、テントの後ろにある傾斜屋根の建物がそれでしょう。
1995年1月撮影 (株)総合計画機構 所蔵

当時、この公園は被災者向けの救援物資の集配所として使われていたようです。
自宅が被害を受けながらも暮らし続けている人も多かったので、こうした身近な公園が最前線の救援拠点として使われました。
1995年1月撮影 (株)総合計画機構 所蔵

(2015年1月訪問)

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