日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2015年1月24日

907/1000 大倉山公園(神戸市中央区)

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神戸市中央区にある大倉山公園は、明治~大正にかけて活躍した実業家・大倉喜八郎の別荘跡を公園としたものです。
喜八郎氏が設立・運営に関わった企業は帝国ホテル、大成建設、サッポロビールなど非常に多岐に渡るのですが、戦後になって財閥は解体されてしまったため、現在において有名なのは、喜八郎と息子・喜七郎(ホテルオークラの創設者)が集めた美術品を展示する大倉集古館かも知れません。

さて、その喜八郎氏。山麓にある寺の名を取って広厳寺山、あるいは安養寺山と呼ばれていた小丘を買い取って港を望む別荘を建てたのですが、自身はほとんど滞在することなく、もっぱら仲の良かった伊藤博文に使わせていたそうです。今で言えば政・財の癒着ですが、当時はそれも許されていたのでしょうか。
その伊藤博文が亡くなったので、喜八郎は「伊藤公の銅像を建て、公園として市民に開放すること」を条件として土地と別荘を市に寄付しました。これを母体とし、周辺町会からの寄付、区画整理用地なども合わせて1911年(明治44年)に開かれたのが大倉山公園です。

しかし、神戸の中心地に近い大規模な公園なだけに、それから100年あまりの間には色々と市街地側からの圧力に攻められてきました。

戦前には図書館が移転して来たり(現在も所在)、公会堂や市庁舎を建てようという動きがあったり(そのために山頂付近を削って平場を造成)、阪神大水害で家を失った人のために仮設住宅が建てられたり、戦争中は高射砲陣地や兵舎として使われたり。
戦後は空襲被災者のための住宅が建てられたり、兵庫県庁の移転用地として検討されたり、阪神・淡路大震災では自衛隊などの活動拠点になった後に仮設住宅用地になったり...等々。
資料を読みながら整理してみましたが、開園から100年あまりのうち50年くらいは仮設住宅(水害、戦災、震災)、兵舎などが園内にあったことになりますので、公園の歴史としては、かなり苦難の道のりだったと言えると思います。

ちなみに、阪神・淡路大震災の直後には、野球場などがこんな感じで使われていました。
1995年1月撮影 (株)総合計画機構 所蔵
1995年1月撮影 (株)総合計画機構 所蔵

さて、現在の大倉山公園。
色々あったけれど、だいたい今のような形になったのは40年ほど前のことだそうです。

かつて別荘の建物があったという山頂部は、公会堂建設に向けて削られて少し低くなったそうですが、今でも公園内で一番標高が高いということは変わりません。

大きな屋根の休憩所からは、周りの樹がもう少し低ければ今でも港の方が見渡せることと思います。

でもこの頂上の周りの木は、全国から神戸に来ている方々(各県人会)からの寄付を受けてつくられた「ふるさとの森」なので、あまり派手に伐ることは難しそうです。

各県の木を集めて作られた「ふるさとの森」や「郷土の森」は各地の公園で見ることがありますが、大倉山公園のものが面白いのは、ただ木を植えるだけではなく、それぞれの県にまつわる名物も取り入れた演出がされていることです。
例えば静岡県はモクセイと富士山、広島県はモミジとシャモジ、福岡県はウメと牛など、わかりやすくて面白い仕掛けだと思います。

「ふるさとの森」の西側にあたるのは遊具広場ですが、以前はこの付近が公園の中心だったようで、周囲にたくさんの記念碑類が集まっています。

中でも目立っているのは、大倉喜八郎が寄付の条件として出した、伊藤博文の銅像の台座です。
肝心の銅像は、戦争中の金属供出によって持っていかれてしまったそうですが、喜八郎が作らせた台座だけが70年以上経った今でも残っています。
もっとも、目立っているとは言っても、目の前に倉庫なんかを置かれているところを見ると、大事にされているわけではありませんが。

この台座がとにかくでかいので、上に乗っていた銅像もどれだけでかいのかと思っていましたが、神戸市のHPにあった昔の写真を見ると、意外に小さいのです。台座と比べて小さすぎるくらい。
聞けば、銅像はもともと湊川神社にあったものが、日露講和条約(ポーツマス条約)の内容に怒った市民によって引き倒されたそうで、再建の際にもう引き倒されないように巨大な台座を作ったのかも知れません。

神戸市HP 『市民のグラフ神戸』バックナンバー
No.17(昭和48年5月)より引用して表示

これは大倉山公園の開園経緯が刻まれた「大倉山公園碑」。開園当初の1911年(明治44年)のものです。

こちらはいわゆる忠孝碑。
「教育勅語下賜三十周年記念」も兼ねており、神戸市内の学校・幼稚園の職員生徒名義で1920年(大正9年)に建てられたものです。学校の生徒はともかく、幼稚園児まで忠孝を誓わされていたとは知りませんでした。

樹の陰に隠れるようにあるのは、奨武会記念碑。
神戸市奨武会がどんな組織なのかはよく知らないのですが、碑文によれば日清戦争を契機にお国に奉公するために組織されたと書かれているので、そういう性格の、官の息のかかった民間組織だったのでは無いかと思います。

ついでなので、先に石碑めぐりを済ませてしまいましょう。
野球場の西隣にあるのは「とこしえに平和の塔」と銘打たれた記念碑というか、モニュメント。
現地の解説によれば、「労働運動を中心とする社会運動に参加し、その生を終えられた人々を称えるため」のものだそうです。
1990年(平成2年)のものですが、遊具広場の周りにあった戦前の体制化のものから、一気に違う方向のものが現れた気がします。

ふるさとの森の北側、ふれあい広場にあるのは、公園内で最新の記念碑(2013年製)「神戸空襲を忘れない-いのちと平和の碑」です。
碑のデザインひとつ取っても、時代によってずいぶんと違うものです。

さて、もどって遊具広場。
おそらく設置から40年くらい経つと思われるコンクリート製、鉄パイプ製の遊具が現役で頑張っています。

こちらの大型滑り台。鉄パイプのラダー部と合わせて、色々な遊び方ができそうです。

ロケット型の登り部が美しい滑り台。デッキ部を支える筋交いも、こうして見るときれいなものです。

神戸市内の他の公園で見かけたことのあるコンクリート製の動物遊具が何点か。
ほかにも普通のブランコや滑り台などもあります。

園内を見渡すと、野球場の門柱にオシャレなエンブレムが付いていたり、

管理事務所が必要以上に凝った建築だったりと、気になるところも多い大倉山公園。
次は施設ではなく植物にも目を配りながら巡ってみたいものです。

神戸市公園緑化協会による公園紹介ページ

(2015年1月訪問)

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