863/1000 横川省三記念公園(東京都港区)

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公園名になっている横川省三(1865・慶応元年-1904・明治37年)は、盛岡の生まれ。
自由民権運動に参加して投獄、朝日新聞記者を務めた後に渡米して農園経営、日露戦争直前に政府の特命を受けて中国大陸に渡り、ロシアの情報収集・撹乱などを図るも最後はコサック兵に捕らえられて銃殺されたという波瀾万丈な人物です。
死後は烈士として讃えられ、旧居を公園として保存しようという運動もあって1938年(昭和13年)に横川省三記念公園が開設されました。がしかし、1964年(昭和39年)の首都高速道路の整備に伴って本来の場所からやや東の現在地に移転し、今にいたると言うことです。

現在の公園は、入り口を入るといきなり高低差があり、一般の利用者は右手のスロープを通り、子供たちは左手の崖下にある砂場に遊びに行く構造になっています。

崖部には滑り台が組み合わされ、上ったり下りたりして遊ぶことができます。

崖登り用のステップは、堤防護岸にでも使われていそうな無骨なデザインのものですが、ところどころに隠されたカニのイラストが雰囲気を和ませてくれます。

崖を上った先にはパーゴラとブランコがあり、そこからずっと進んだ公園の一番奥に横川省三の記念碑があります。

■碑文より「横川省三略伝」
明治三十七八年戦役に特別任務を帯び 北満の野に壮烈なる最後を遂げたる 志士横川省三くんは南部盛岡の人なり。
歳甫めて19 東京に来り自由党に投じ後 操觚界に入り雄健の筆を以て盛名を謳われしが 明治30年移民開拓の為北米に航し 明治34年歸朝す
偶 暗澹たる日露の風雲に際会し敵情探知の重命を荷いて北京公使館嘱託となり 日夜東奔西走すること3年
時恰も明治37年2月 大勅下るや輙ち擢てられて 敵後方輸送路遮断の命を拝し 嫩江鉄橋爆破に赴きしが遂に敵兵の為に捕らえられ 4月21日同志沖禎介と共に哈爾浜に於て銃殺せらる
君は性剛毅恬淡にして機略あり 身軍籍に非るも適地深く突入して国難に殉す 其忠勇義烈真に国士の亀鑑たり 後年其功により勲五等を授けられ特旨を以て靖国神社に合祀せらる

此地は明治三十七八年戦役に際し特命を帯びて敵地深く侵入し、北満の野に於て国難に殉じたる志士横川省三氏が寓居の遺阯として知られたりしが
同氏の赫々たる英名を永く追慕し其の光輝ある舊蹟を後世に伝えんが為に 地元 横川省三遺跡保存会代表者 黒川茂隆氏は之を本市公園用地として昭和12年12月 附近を併せ120余坪の地を寄付せられたり
本市に於ては寄附者の厚意を享け英霊を偲ぶ記念公園となし諸施設を完了したるを以て茲に開園に臨み来歴を敍し以て地元の芳志を銘記す

振り返れば小さな公園の先に六本木の巨大なタワービルが光り輝いています。
明治は遥か遠くになりました。

港区役所による公園紹介ページ

(2014年10月訪問)

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