日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2013年6月27日

390/1000 三文殊公園(沖縄県那覇市)

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那覇の歓楽街である辻地区の外れの方に、「三文殊」という一風変わった地名にちなむ小公園があります。地名は「サンモウジ」と読みますが、公園名は「サンモンジュ」と読むようです。

三文殊とは、諺に言う「三人集まって文殊の知恵になる」のとは関係なく、「一人ひとりが文殊くらい賢い人が三人集まった」という伝承によるもだという説があります。
公園内にある解説板には、次のように書かれています。
●サンモウジ(三文殊)の話
『南島記事外篇』(西村捨三著/1886年)によると、18世紀を代表する学者・教育者「程順則(名護親方寵文):ていじゅんそく(なごウェーカタちょうぶん)」、大政治家「蔡温(具志頭親方文若):ぐしちゃんウェーカタぶんじゃく)」、そして「スグリ山田:勝れやまだ」と呼ばれた「山田親雲上:やまだペークミー(唐名:阮瓉)」の三人の賢人が、琉球の国のことを語り合った場所なので「三文殊」と呼ばれるようになり、いつしかそれが「サンモウジ」という地名になった、という言い伝えが記されています。
しかし、「三孟子」、「沙帽瀬」、「烏帽子■(文字欠け)」などとも記されている史料もあり、別のお話が伝わっていたかもしれませんが、今となってはわからなくなっています。
那覇市教育委員会文化課

この解説文では琉球王国時代の方々の名前が出てきます。
少しわかりにくいですが、士族階級は中国風の名(唐名)と日本風の名(大和名)を持っており、大和名では領地の地名が苗字っぽく使われ、さらに役職に応じた称号を持っていました。全部続けて書くとかえってわかりにくいようにも思うのですが、現在の資料は全部書くことが多いようです。
三賢人の中でいちばん有名な蔡温の場合ですと、蔡温(唐名)、具志頭(家名;領地の地名≒苗字)、親方(称号)、文若(名乗)という分解になります。

また、この伝承を記録して書物に残した西村捨三は、彦根藩の作事奉行の家に生まれた明治期の官僚、政治家、実業家で、1883~1886年(明治16~19年)の間、第4代の沖縄県令を務めた人物です。後に大阪府知事、大阪築港工事事務所長として淀川改修や大阪築港に力を尽くし、その遺徳を称えてNo.377の天保山公園に銅像が建てられています。

さて、地名の話はほどほどにして、現在の公園。
伝承に彩られた岩山を残すために公園化したような節があり、ブランコの置かれた小さな広場と、この岩山だけでほぼすべてです。
この公園から海側は18世紀以降に埋め立てられた場所のはずなので、おそらく、この岩山もかつては海に突き出した岬のような形で存在したのではないかと思われます。

今は公園そのものが、歓楽街に浮かぶ離れ島のようでもあります。

ブランコ周辺は、ちょうどリニューアル工事中でした。ブランコそのものを新しいものに交換し、周囲の芝生も貼り替えているようです。
大きなガジュマルの樹の下で休憩する作業員の方たちというのも、沖縄でよく見かける風景です。

ちなみ公園のすぐ隣には、以前は「左馬」という立派な料亭があったのですが、潰れて売り地になっていました。
琉舞なんかも見られる本格的な料亭だったと聞いており、私も10年ほど前にいちど行けそうな機会があったのですが同行者のタイミングが合わずに流れてしまい、気がついたらお店が潰れていました。残念。

(2013年2月訪問)

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