日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2013年6月13日

375/1000 芝園町二丁目公園(富山県富山市)

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芝園町二丁目公園は、小さな集会施設と一体的に整備された狭小公園です。
小さな広場の周りに、ブランコ、鉄棒などのオーソドックスな遊具が並びます。
訪ねたのは雪の残る時期で花などは少ないのですが、清掃や草刈りはしっかりされて丁寧に管理されていました。
芝園町二丁目公園(富山県富山市)
芝園町二丁目公園(富山県富山市)

「集会施設」と言いましたが、中は地蔵堂も兼ねているようです。
詳しくは『船橋地蔵殿の由来』をご覧ください。「大地蔵」とかいて「デカジゾウ」と読ませるところが格好いいですね。
芝園町二丁目公園(富山県富山市)
芝園町二丁目公園(富山県富山市)

●船橋地蔵殿の由来
 今から4百数十年前(1590年)、加賀太守前田利長公が、北陸道の要衝として、神通川に64艘の大船を横に繋ぎ、3枚の橋板を上にかけて日本第一の大船橋が出来ました。
 しかし、大水の時はこの船橋に水が集中し、大吹雪の時は転落水死する人が多数ありました。
 富山藩より船橋の管理を命ぜられていた船頭町36戸の船頭衆はこの惨状を目のあたりにし、これを哀れみ、念仏講の世話人・妙線尼と計り、1861年~64年、船橋の北側常夜灯の横(現森林水産会館の前)に、丈六の延命地蔵菩薩の石像を建てて水難者の追善、往来者の無事息災延命を祈念しました。これを船橋の大地蔵(デカジゾウ)と称し、大切に奉祭してきましたが、1945年の富山空襲の戦火で焼失しました。
 かろうじて防空壕にてその難を免れた木造の延命地蔵菩薩(1870年、廃仏毀釈の折りに愛宕の宮より出られました)と、昭和の町名変更の折りに南藤井町に奉祭の石造の地蔵菩薩をも合祀、この地芝園町2丁目公民館内堂宇に安置されています。
平成11年10月
富山市芝園町2丁目町内会

解説文に出てくる船橋は、文字通り船を横並びに鎖で繋ぎ、その上に板を渡して橋にしたもので、江戸時代の富山の名物だったそうです。詳しくは富山市郷土博物館の『博物館だより』で3号に渡って特集されているのでご覧ください。
明治に入っても1882年(明治15年)までは残っていたそうで、北陸巡幸中の明治天皇も渡ったそうです。
その後に神通川が付け替えられたのですが、その名残である松川端に1799年に建てられた常夜灯が残っているほか、船橋をイメージしたデザインの橋(これも「船橋」という名のコンクリート橋なのですが)が架けられています。
芝園町二丁目公園(富山県富山市)
芝園町二丁目公園(富山県富山市)

富山市郷土博物館 博物館だより『越中富山の船橋 その1』、『その2』、『その後

(2013年2月訪問)

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