安田公園は、現地の園名板では「安田記念公園」と書かれています。
これは安田善次郎(安田財閥の創始者)の生家跡を公園として整備したもので、競馬の安田記念(JRA初代理事長・安田伊左衛門を記念)とは関係ありません。
ちなみに安田善次郎は、日比谷公園内の日比谷公会堂(千代田区)、旧安田庭園(墨田区)などを寄付しており、公園関係ではしばしば名前の出てくる人物です。
現地の案内板によれば、寄付されたのが1960年(昭和35年)ということで、公園入口の門柱は50年前のままではないかと思われます。
後に事業に成功したとはいえ、生家は半農半士の下級武士だったということで、さほど広い敷地ではありません。開園面積は0.16ha、街なかではよくある街区公園サイズです。
おもな公園施設は小さめの複合遊具と砂場、それと東屋くらいです。
東屋のそばに、松翁安田善次郎生誕の地の記念碑があります。石碑自体は立派なものですが、周りの植栽などがいくぶん草臥れて寂しい感じになっています。揮毫は高橋是清。
■現地の解説板より「安田善次郎翁誕生址」
明治財界の巨星でわが郷土の誇とする安田善次郎翁は、天保9年10月9日、西紀1838年、越中国婦負郡富山舟橋向鍋屋小路、現在富山市安田町に生れ、幼名を岩次郎といった。少年時代から朝には神通川舟橋の雪を踏み、夕には白峨々たる立山、剣連峰の山颪を背に具に行商の辛苦を嘗めて家計を助け、その余暇に太閣記を愛読し、豊臣秀吉の立身に深く感銘して、全巻を半写すること数回に及んだ。16才のとき諏訪川原で、富山藩の重職が大阪の用達商人に膝を屈するのを見て金権の威に驚き、早くも時勢の移り変りを悟り、20才のとき大志を抱いて江戸に出て、勤倹力行を信条にして初一念を貫き、遂に安田銀行、現在の富士銀行を始めとし安田生命、安田火災等十数社を創立し、また日本銀行の創立御用掛となり、引続き同行の理事監事の要職を歴任する等、明治大正の二代に亘り至り国家社会の為に多大の貢献をした。大正10年9月28日、西紀1921年、相州大磯に於て84歳で没した。当安田公園は、善次郎翁生誕の地であって、昭和35年9月児童遊園地として、翁の嫡孫安田一氏より当市へ寄附せられたものである。(平成9年11月 富山市)
屋敷があったことの名残であるはずの井戸(写真中央。案内板の横に佇んでいます)もまったく目立っていませんので、もう少し周囲の植栽などを工夫して、碑や井戸跡などシンボル的なものが際立つようにしてあげたいところです。
(2013年2月訪問)






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