150/1000 越前堀児童公園(東京都中央区)

2012/10/01

関東大震災復興 身近な公園 水遊び場 中央区 東京都 幼児プール

t f B! P L
江戸時代、このあたりは川や堀割に囲まれた島状の土地になっており、そこにあった寺の名に因んで霊岸島と呼ばれていました。
一方で、寺の南方には越前福井藩・松平家の中屋敷(浜屋敷)がありました。
やがて火災にあった寺は移転しましたが霊岸島の名は残り、また松平家の周囲に掘られた舟入堀は「越前堀」と呼ばれてこれも地名となりました。明治・大正には海運・商業の町として栄えますが、関東大震災によって壊滅します。
その後に区画整理がおこなわれ、1930年に越前堀公園が誕生します(それに先立つ1927年に、道一本挟んで隣接する明正小学校が開校しています)。

公園正面には、開園当初のものと思われる名板を現在の公園名板とともにはめ込んだ碑があります。開園当初のものには「東京市 越前堀公園」「昭和五年五月」と記されています。
その横には越前堀跡の解説板。奥まった位置にあり、植え込みの中に踏み込んでいかねば読めません。
元は越前堀公園、現在は越前堀児童公園です

この公園は、埋め立てられた越前堀の両岸にまたがるような立地にあり、敷地の下には越前堀の遺構が埋まっていると思われます。園内には、この公園敷地から出土したものではありませんが、越前堀の石垣石が移設展示されています。
「出土した越前堀の石垣石」の解説板


また展示物としてではなく、そのほかに園内で使われている石にも石垣石が使われているとの解説板がありましたが、実際にどの石なのかはわかりませんでした。流れに使われている石がそうなのでしょうか?
石の由来
この縁石が江戸時代の石の再利用なのか?
 
さらに園内には霊岸島の由来を示す碑もあります(霊厳島之碑)。


ということで、公園に入った途端に4種類の解説板が立ち並び、同じようなことを繰り返し語りかけてくるので、越前堀と霊岸島のことはよくわかるのですが、どうせ数を置くのならそれぞれもう少し違った内容にしてくれると有難いと思いました。

さて現在の公園内です。園内は何度かの改修を経ているようで、時代の雰囲気が異なるいくつかのパーツが混在しています。 まず東端にはフェンスに囲まれたボール遊び用の広場。30年は経っていると思われます。
鉄の扉が重々しいボール遊び広場

その横には複合遊具、ネット遊具、滑り台、ブランコ、砂場などのある遊具広場。遊具ごとに年代が違うように思われます。 おそらくブランコやベンチは30年は経っていると思われますが、部材を入れ替えたりペンキを塗り直したりしており、今も美しく保たれています。
最新鋭の複合遊具
やや色がはげたネット遊具
塗り直しされたと思われるブランコ、ベンチ


そしてそれらを差し置いてこの公園を特徴づけているのが、こちらの幼児プール。プールそのものと言うより、中央に置かれた船、そして脇を固めるゾウが存在感を出しすぎです。
全長15mほどある船は、コンクリート製遊具としてはかなりの大きさ。
ゾウはゾウで鼻から水を出す噴水になっており、児童公園としてはオーバースペック気味の施設です。 きっと、それだけ地元の皆さんの愛着や思い入れが強いのだと思われます。
ビルの谷間にあっても存在感抜群
ECHIZEN LINE とゾウの噴水

公園と道一本挟んだところにある区立明正小学校(幼稚園)は、隣の学区にあたる中央小学校と組み合わせた建て替えに取りかかっており、ちょうど訪れた年の一学期までは先に工事に入った中央小が同居していたそうです。 二学期からは逆に明正小・幼が中央小・幼の新校舎に同居し、現校舎はなくなって二年後には小学校と児童館、こども園が入る複合施設として生まれ変わるそうです。 校舎には、子供たちによる沢山の「ありがとう」が飾られていました。
リノベーションではなく「意匠を活かした新築」になるそうです
 
神奈川大学 関東大震災・復興データベース
中央区立明正小学校のページ

(2012年8月訪問) 

ブログ内検索 Search

アーカイブ Archive

地図 Map

問い合わせ Contact

名前

メール *

メッセージ *

Facebook Page

QooQ