151/1000 鉄砲洲児童公園(東京都中央区)

2012/10/02

関東大震災復興 身近な公園 中央区 東京都 幼児プール

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今も「入船」「湊」など往事の姿を偲ばせる町名が並ぶ隅田川沿いの一角は、かつては鉄砲洲と呼ばれていました。鐵砲洲稲荷神社のページによれば、この社が遷座してきたのが1624年ということですので、この頃には「洲」とは言いながらも稲荷神社をお祀りするだけの人が住み働く港町になっていたと思われます。

明治・大正になっても順調に都市化が進んできましたが、関東大震災で壊滅的な被害を受けます。そこからの復興区画整理により、稲荷社、公園、小学校が道を挟んで並ぶ現在の姿の原形が整います。

さて現在の公園です。
まず台形状の敷地の中心部に、サクラやモミジに囲まれた円形の多目的広場があります。昭和の中頃に改修された時には、この部分に山遊具が置かれたという話なので、近年の再改修の際に撤去されたものと思われます。
円形広場を基本とするデザインは開設当初のものの踏襲でしょうか

多目的広場の縁の部分に、複合遊具、ブランコ、砂場などいくつかの遊具が置かれています。

今のメイン遊具は、こちらの複合遊具です。

また、小学校に近いところにはクライミングウォールが置かれています。
足元には木質系のチップが撒かれており、壁から落ちても安心?です。

公園の北端には、幼児用プールもあります。
写真では少しわかりにくいのですが、プールに落ちる滝があってなかなか楽しげです。

訪れた夏、公園と道一本挟んだところにある区立中央小学校(幼稚園)はちょうど建て替えが終わったところでした。二学期からはNo.150に登場した明正小・幼に仮住まいしていた生徒たちが戻ってきて、同時にしばらくは明正小・幼がこちらに同居する日々が始まるそうです。
新しい校舎は公園に向かって玄関が開いており(正確には幼稚園の玄関ですが)、開校・開園から80年以上を経て、また両者の新しい歴史が刻まれていくことでしょう。

ところで、公園の隣にある鐵砲洲稲荷神社には、江戸時代からこのお社に伝わる富士塚があります(ただし現在のものは1928年製)。
現在でも、日にちを決めて頂上まで登っての参拝ができるそうですので、機会があれば是非お参りしてみたいものです。
昭和製だけあって、外見はしっかりしています
 
鐵砲洲稲荷神社のページ
神奈川大学 関東大震災・復興データベース
中央区立中央小学校のページ
富士塚に登った皆さんの記事

(2012年8月訪問)

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