北中城村(きたなかぐすくそん)の喜舎場(きしゃば)は、村役場や小学校がある村の中心的な集落です。伝承によれば、喜舎場公という人物が村を開いたとされており、この喜舎場公の墓が集落の中でも一段高い丘の上に祀られています。
このお墓の手前にあるのが、喜舎場公園。喜舎場公の園ではなく、喜舎場の公園です。
墓所への参道のように直線的に作られた階段道が主園路で、これを上ると、右側にガケ滑り台と砂場、左側に土敷き・草敷きの2面の広場があります。
どちらかと言えば、広場が公園としてのメイン空間で、遊具は後から付け足したような雰囲気です。
子供の数が多かった頃には需要があったのでしょうが、時代とともに存在感が薄くなり、訪ねた時は滑り部はザラザラ、砂場は草茫々になっていました。
一方の広場。土敷きと草敷きの2面と書きましたが、はっきりとした平坦地の広場は土敷きの方だけで、草敷きの方はやや傾斜のある林間広場のような仕立てになっています。
土敷きの方は、周囲にベンチなども設けられて、いわゆる公園施設としてゲートボールなどができる広場ですが、一段高い草敷きの方は、沖縄らしい"拝み"の要素が入った空間だと言えます。
つまりは、拝所(喜舎場の殿トゥン)や、地区の戦没者慰霊塔などが祀られていて、その前面空間として、みんなが集まったり、拝んだりするためのスペースが広場として確保されているわけです。
喜舎場公を祀る例祭もあるようなので、そうした時は祭礼行列がこのあたりに集まるのかも知れません。
戦没者の方々は、喜舎場公と比べれば時代が近いですが、いまの村を築き育てた先人たちという意味では、重なるところがあります。
また、この広場の一角に、集落内の別の場所から移設保存されている「喜舎場の石獅子」がありました。
本ブログでも、No.2666やNo.3974で石獅子が登場しましたが、今のように個人宅にシーサーが置かれるようになったのは明治以降、それも屋根瓦が普及してからのことで、それ以前は村の出入口に置かれる石造りの村落獅子が、村をまとめて守っていました。
村にやって来る大きな災厄と言えば火事であり、石獅子は風水でいうところのフィーザン(火山)に向かって置かれます。ここのものについては、村発行のパンフレットに、"以前は集落の南西側の俗称ビンダマーチューから安谷屋の北側にあった「カニサン」と呼ばれていた大きな岩山に向かって据えられていました"と書かれていました。
今は肝心のカニサンが米軍基地の中に閉じ込められているようですが、石獅子の顔の向きは、おおむねそちらを向いているようです。
■現地の解説板より「喜舎場の石獅子(シーサー)」
喜舎場の石獅子は、もとは集落の南西側の俗称ビンダマーチューから安谷屋の北側(儀問原ジーマバル)にあった巨岩のカニサンに向かって鎮座していました。この巨岩は、喜舎場に災いをもたらすフィーザン(火山)であると信じられ、その返しとして石獅子が据えられました。この石獅子は、巨岩に対する火除け、魔除けとしての村獅子で、除災信仰を知るうえで重要であります。大きさは、長さ102cm、高さ59cm、幅45cmです。昭和58年8月に現在地に移されました。(北中城村教育委員会)
さて、改めて喜舎場公の墓を目指します。冒頭の直線道に戻ると、その先に鳥居が見えてきます。ということは、ここは公園の園路ではありますが、もともとは墓への参道として整備されたものなのでしょう。
鳥居をくぐると、しばらくは直線の階段道で灯籠なども備えられた神社風なのですが、大岩に突き当たって左に曲がるところから、急に沖縄の御嶽風に景色が切り替わります。
もう少し進んで、森の中に表れたのが喜舎場公のお墓。もっと何百年も前のものかと思っていたのですが、それよりはずっと新しいコンクリート製のものです。
帰ってから北中城村の資料で調べてみると、”一時荒廃したが、昭和12年(1937)に集落をあげて補修されたという。”と記されていたので、きっとその時に参道や祠を作り直したのだろうと思います。
■現地の解説板より「喜舎場公の墓」
喜舎場公は、喜舎場村の創建者といわれ、「球陽」(1745年) の外巻『遺老説伝』に「往昔、喜舎場公ナル者有リ、此ノ邑ヲ創建ス。因リテ喜舎場公ト名ツク。是レ故二今二至ルマデ毎年二月、村長皆其ノ墓ヲ祭ル。墓ハ本村後岩二在リ。」(原漢文) と記されている。現在、旧暦9月18日に例祭が執り行われている。また、ムラシーミー(字の清明祭)の際には、喜舎場公子孫の墓、喜舎場村祖先の墓(アーマンチューの墓)も一緒に拝まれる。
お墓の前の灯籠は、傘の部分だけもっと最近に白御影のきれいなものに取り替えられているのですが、そこに緑色をしたきれいな貝殻が貼り付いていました。沖縄の森で時々みかけるアオミオカタニシだと思います。
ここからさらに道は続いていて、3つくらい前の写真に写っていた、2つの大岩に架かる橋を渡ることができます。渡った先は行き止まりで、大岩をくり抜いてつくられたお墓があります。
これが先ほどの解説板にも出てきた「喜舎場公之子孫上代之墓」で、北中城村の資料によると”元々は現在の場所から西側丘陵に位置していたが、地滑りなどを考慮して昭和45年(1970)頃に移設されたと伝えられているものの、詳細な資料や建築年代は不詳。一時荒廃したが、昭和12年(1937)に集落をあげて補修されたという。”とあります。
喜舎場公のお墓よりは高い位置にありますが、喜舎場公の子孫のお墓なのですね。
史跡と森の生き物と景観をまとめて楽しめる、喜舎場公園でした。
(2026年6月訪問)
















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