JR亀戸駅の南、No.4243 亀戸南公園の一筋東側に、南北に長い亀戸緑道公園があります。
ここは、かつて亀戸駅前の水神森から現在の東陽町駅付近まで、4km少々を結んでいた都電の跡地で、そのうち1.5kmほどが一連の緑道となってはいるものの、施設としてはいくつかの区間ごとに分割して管理されており、亀戸緑道公園としては、駅南の国道14号から竪川人道橋跡の手前まで、約270mの範囲がそれにあたります。
都電としては専用軌道だったのでしょうか、両側を車が一方通行で通れる幅4mくらいの道路に挟まれた中央部分が、幅8mくらいの緑道敷地になっています。
緑道敷地の両側には植栽帯があるため、実際に歩けるのは幅3mくらいの範囲なので、人とすれ違う時には、少し狭く感じるほどです。
それでも、ところどころに幅広のポイントをつくり、スツールなどを置いて休めるようにしてあります。
歩いた時間帯の光の向きの加減で、亀戸駅から南に歩いているのに、時々振り返って撮影しているので分かりにくくなりますが、途中に一箇所、一般道を渡るところがあります。
竪川人道橋跡の手前まで来ました。横断歩道の向こうは、亀戸緑道公園の区域ではないと思うのですが、路面に線路モニュメントを通してあるので、見に行ってみます。
もともと、高速道路の高架下にあたる部分には、旧中川と隅田川を東西に結ぶ竪川が通っていて、ここに都電の専用橋が架かっていました。
都電が廃止になった後は、歩行者専用の「竪川人道橋」に転用されたのですが、やがて竪川そのものが暗渠化されて、周りの地面とフラットな状態になったため、2011年(平成23年)に橋が廃止されました。
私が記事中で書いてきた歴史的経緯などは、このモニュメント付近にいくつかある解説板からの再編集です。
■現地の解説板より「竪川専用橋と竪川人道橋の歴史」
かつてこの場所には、路面電車が走るための『竪川専用橋』が水神森~大島間の開通に合わせ、大正10年1月より架設されていた。
当初の運営は大正2年10月に設立された城東電気軌道(株)で、昭和17年2月に東京市営、同18年7月に都営となった。ところが、昭和20年の大空襲により甚大な被害を受けた。しかし復興に努め、昭和24年には区内全域が開通した。
『チンチン電車』と呼ばれて親しまれ、便利だった都電も昭和30年代の高度経済成長政策の頃から、自動車交通の急激な発達により道路が渋滞し、輸送力低下による赤字決算の連続となった。その結果、昭和47年、区内全線が廃止された。
そして、昭和50年、この橋は歩行者専用橋として改修され『竪川人道橋』と呼ばれるようになり、同54年、橋の南北の軌道敷は緑道公園に生まれ変わった。
以来、この橋は平成7年の景観整備工事にて都電をモチーフに修景され、地域の歴史を伝えるモニュメンタルな橋として地域に親しまれてきたが、老朽化が進んできたこともあり、竪川河川敷公園の大規模改修に合わせ一体整備されることとなり、平成23年に橋は撤去され、現在の姿となっている。
なお、モニュメントのレールの一部は『25系統』の亀戸9丁目で使われていたものを再使用しており、車輪は当時の写真等を参考にオブジェとしてデザインされたものである。(令和2年 江東区土木部)
いつかまた、東陽町の方まで歩いてみたくなる亀戸緑道公園でした。
(2026年3月訪問)









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