4210/1000 明舟公園(東京都港区)

2026/04/10

港区 身近な公園 東京都

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虎ノ門ヒルズは、森ビルが主体となる再開発事業なのですが、一敷地の再開発ではなく、いくつかの超高層ビルが、大きな国道1号線(桜田通り)の交差点を挟んで、分かれて並びます。その一角、交差点に面したところに、2024年(令和6年)に開園したばかりの明舟(あけふね)公園があります。

再開発事業の中で用地が生み出され、かつ公園として単独施設にするのではなく、歩道や民間建物敷地のオープンスペースと境目の無い、連続した空間構成になっているため、現地に行ってもどこが明舟公園なのかはさっぱりわかりません。
一応、交差点に面しているこの植樹帯と、手前の植樹帯との間が公園であるようなのですが。

奥に見える壁面緑化された建物の角が公園敷地の境界だと考えて、だいたいの境界線上に立ってみます。

でも、壁面緑化建物と、隣の建物との間は、公園ではないんですよ。ベンチのデザインなども統一感があるので、公・民の境界は本当にわかりません。もしかすると、舗装のラインなどに何か秘密が隠れているのかも知れませんが。

かろうじて公園っぽさが出るのは、港区の公共掲示板。周りに合わせれば液晶画面のデジタルサイネージでも置きたいところですが、ここは港区標準の、押しピンでチラシを貼り付ける掲示板スタイルを貫いています。

そしてもう一つ、植栽帯の中に建てられた交通安全のモニュメントも、公園でなければ建てにくいものです。
付近の工事中、見通しが悪くなっていた時に交通事故で亡くなった小学生の父上が、交通安全を願って建てたものだそうです。

亡くなった男の子と同じ高さをした灯台型のモニュメントには、《「か」しんとゆだんが事故を生む/その「い」っしゅんが大事だよ/いつでも心にゆと「り」をもって》と刻まれています。
台座部分のモザイクアートは、友達がみんなで作ったものだとか。

都会の真ん中で、機能的になりがちなところに、わずかに人間味を吹き込む明舟公園でした。

■現地の解説より「西久保明舟町(にしくぼあけふねちょう)」

もとは武家地でしたが、明治初年(1868)、明石町、船松町二丁目、芝車町、伊皿子七軒町、三田功運寺門前、三田台町一丁目の6つの町の代地となりました。翌年の明治2年(1869)にこれらを合併し、明石、船松の町名より1字を取って明舟町と名付けられました。

(2025年12月訪問)

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