北谷(ちゃたん)町南部の海岸沿いは、沖縄戦後は、長らく米軍のハンビー飛行場として占領されていましたが、1981年(昭和56年)に返還されて、現在は国道58号線沿いの住宅地・商業地になっています。
安良波(あらは)公園は、そこの海岸線に沿って作られているビーチサイド型の公園です。
端から端まで歩くと約1.4kmもあって、全部を記事にするのは大変なので、メインエントランスから北へと進んで記録します。
国道58号から、サンエーハンビータウン(スーパーマーケット)の方へ曲がった先がメインエントランス。園内に入った正面には、盛土山とモニュメント付きのカスケードがあります。
本当は正面には海があるので、あえて視界を遮ることで、盛土山に登りたくなるような誘導と、そして登ったらもっとダイナミックに海が見えるという仕掛けが施されています。
でも先に、エントランス付近のモニュメントを少し見て回ります。
公園は、占領から基地返還、そして区画整理を経た新しいまちづくりという地域の皆さんの苦労の成果を表徴する場所なので、立派な黒御影の区画整理事業竣工記念碑が建てられています。
水が吹き出すと思い石球が浮かんで回りだす噴水は、北谷が村から町へと移行してから20年を記念するもの。
■現地の解説板より「御影石製水球(直径1.2M)」
このモニュメント球は、原石重量約7tの石材を特殊な方法で真球に限りなく近づくように加工されたものです。加工する事によって、球体自身の重量は約3tになります。台座の下部より計算された圧力及び水量を加えることにより、まるで宇宙に浮かんだ地球のごとく回転を続けてゆく事が出来るのです。(北谷町制20周年を記念して 2000年4月1日)
さて、改めて盛土山の上に登って眺めたのが冒頭の写真。
盛土山の裏側は半円形のスタンド席になっており、海を背景にしたステージが設けられています。なかなか気持ちの良い景色なのですが、ステージ裏にある電源ボックスや自販機、むやみに立てられた看板類がせっかくの風景を邪魔しているので、もう少し気を使って欲しいと思いました。
右を向くと、ショッピングモールや大型ホテルが建つ美浜地区が見えます。
ここから2kmくらい離れていますが、海岸沿いにはずっと公園や遊歩道が繋がっているので、歩いていくことができます。
この公園の前面は人工砂浜になっていますが、これの両端には養浜のためのヘッドランドがあり、その突端まで歩いていくことができます。
なんとなく行ってみようかと思ったのですが、突先に釣り人がいたので遠慮しました。何が釣れるのでしょうか。
50メートルほど沖合には、小さな砂浜が付いた大岩がいくつか見えます。泳いだり、カヌーで遊んだりする時の目標地点にちょうどいい感じです。
ただし、ここは監視員がいる管理ビーチで、沖合には水中ネットが張られているので、実際に泳いでいこうとすると、注意されることでしょう。
さて、ステージ付近に戻ると、そこにはインディアン・オーク号漂着記念モニュメントがあります。19世紀なかばに、アヘン戦争に参加していたイギリス東インド会社の輸送船が付近に漂着した際に、北谷の人々が彼らを救助したことに始まる交流を記念するものです。
当時の琉球は清と冊封関係にあったので、イギリス船の扱いには苦慮したと思われますが、そこは人道主義が勝ったという理解で。
■現地の解説板より「インディアン・オーク号漂着記念モニュメント」
1840年(道光20年)8月14日、英国東インド会社のインディアン・オーク号が琉球王国の北谷間切の安良波海岸に、台風のため難破しました。
北谷の人々は島の危険も願みず、乗組員67名を救助し、退島するまでの45 日間を手厚く保護しました。この比類なき無私無償の行為に感動した乗組員は、聖書の「善きサマリタン」だと英国紙に称え、博愛精神を賞賛しました。
このことを町民の誇りとし、後世に継承することを目的に、ここに記念碑を建造する。(1991年4月1日 北谷町長 島袋雅夫)
そこから北へ進むと、この公園のシンボルであるインディアン・オーク号を模した複合遊具が登場します。以前は本当に難破したかのように傾いた木製遊具だったのですが、5年ほど前にまったく一新され、新造船になりました。
ここにもインディアン・オーク号についての解説板が建てられているのですが、モニュメントの設置以降に新しくわかった事実が反映されたのか、難破した場所まで特定された詳しい内容のものになっています。
■インディアン・オーク号座礁・漂着の記録
1840年8月14日、英国船籍 東インド会社のインディアン・オーク号は、 台風の影響を受け字北谷地先のリーフに座礁しました。当時のアジアやヨーロッパでは難破船は掠奪される時代でしたが、北谷の村人は船を失った乗組員67人全員を救出し、帰国するまでの45日間衣食住を与え手厚くもてなしました。また、帰国に際しては約180トンのジャンク船を建造し乗組員に提供しました。
インディアン・オーク号の遭難から帰国までの様子は、船員によって「海事誌及び海軍記」に記録され、大英図書館に所蔵されています。
インディアン・オーク号の座礁地点は、 調査の結果、白比川河口の真西約1,050メートル、 さらにリーフを真南に約250メートル下った一帯であることが判明しています。
この公園には、史実にもとづきインディアン・オーク号を模した帆船を設置いたしました。
沖縄県立博物館・美術館のホームページによれば、1984年(昭和59年)に座礁地点の海底調査が実施され、積荷の陶磁器や船体の一部、バラスト石などが発見されているそうです。
遊具としては、まさしく大型複合遊具で、船のデッキやマストの途中まで上ることができ、そこから飛び出す3本のロング滑り台を軸に、ターザンロープ、吊橋やネット遊具などが組み合わされています。
あちこちに錨マークや覗き窓、伝声管など船らしいアイテムが隠れているのも、面白い仕掛けです。
上述したように、以前の傾いた船から数年前に一新されたのですが、インディアン・オーク号が座礁したという事実は重要なアイデンティティなので、ちゃんと船体に穴が空き、積荷の樽が散らばって放り出されるところが再現されています。
インディアン・オーク号一本槍ではなく、そのほかにも幼児用遊具などがあるのですが、訪ねた時は傷んで使用禁止になっていました。潮風があたり続ける海岸沿いなので、施設の維持は大変だろうと思います。
覗き窓型のモニュメント「ゆめの窓」。このまま覗き込んで景色を眺めても良いし、写真のフレームにしても面白いと思います。
でもスマホで適当に撮ったら、手前にピントが合ってしまい、遠くにある夢はボヤけてしまいました。ある意味、教訓的。
その先にはバスケットコート。3x3サイズのものが3面あって、ほかにもゴールだけが建っている練習スペースも取られているなど、かなり充実しています。
まだ新しいので、2023年に沖縄でバスケットボールW杯があった時に作られたもののようです。
さらに北へ進むと、飲食店が並ぶ一角に出ました。
これらは公園施設ではなく、隣地に建つ店々との間にフェンスを設けずに、公園側をテラス席として利用できるように仕立てているタイプのようです。
ビーチから公園、お店までが一続きになり、非常に使いやすくなっていると思います。
お店ゾーンを抜けると白比川。安良波公園としての区域は、ここで終わります。
しかし、橋を渡った先も海岸沿いの公園と遊歩道は続き、北谷公園へと至ります。
またそのうち、あちらの方も歩いてみましょう。

(2025年11月訪問)
























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