北前第3公園は、No.4182 北前第2公園から南へ約300メートル離れた普天間川沿いにある小公園で、国道58号からは川沿いの緑道を通って行くことができます。
園内は、川と住宅地とに挟まれた直角三角形の敷地をしており、その中でも高木で敷地を分けて、草敷きの広場スペースと、砂場の中の複合遊具スペースとを分けています。
砂場の中の複合遊具は、モクモクと煙を拭き上げて走る蒸気機関車。宙に浮いていますが、そこは夢の機関車ということで。
複合遊具としては、滑り台、ネット、雲梯、ガケ登りなどが複合しており、周りのカラフルなステップもあわせて一つのものになっています。
じつはこの付近には、沖縄戦で破壊され復活できなかった沖縄県営鉄道の路線が通っていたことから、この遊具が選ばれたようです。
■現地の解説板より「沖縄県営鉄道」とは?
沖縄にはむかし、汽車が走っていました。1914年(大正3)の開業から、1945年(昭和20)まで走り続けていました。正式には「沖縄県営鉄道」といいました。
那覇から与那原までの与那原線、那覇から嘉手納までの嘉手納線、那覇から糸満までの糸満線の3路線が運行していました。本土の汽車よりも線路の幅が小さかったことから「軽便鉄道」と称され「軽便」は正式には「けいべん」と読みますが、沖縄の人々からは「ケイビン」や「ケービン」と呼ばれ親しまれていました。
その速度は、上り坂ではとてもスピードが落ちたことから、走っている汽車から飛び降りた人も多かったという話が残っています。歩いたほうが速かったのかもしれません。線路沿いの地域で暮らす子どもたちは「シッタンガラガラ」と音を立てて走る「ケービン」の姿や「アフィー・アフィー」と聞こえる汽笛を真似て遊んでいたそうです。わたしたちの町にも鉄道の駅がありました
1922年(大正11)には、那覇から嘉手納へと向かう嘉手納線が開通します。これによって、北谷は中頭地域の人や商品、農産物などが行ったり来たり、より活気あふれる暮らしとなりました。北谷駅、桑江駅、平安山駅の中でも、桑江駅は、駅員さんのいる有人駅であり、サトウキビなどの貨物の積み降ろしのための側線があり、嘉手納線の中では大きな駅の一つでした。
船で運んでいたものが鉄道に移ったことによって、雨の日も風の日も心配がなくなりました。その大きな変化は、現代まで続く車社会の始まりでもありました。軽便鉄道は、沖縄戦によって約30年の歴史に幕を下ろすこととなりました。当時の面影を想像することは難しいかもしれません。軽便鉄道に関する正式な廃止手続きは行われていないことから、今もなおこの島の発展を願って、私たちの想いを乗せて、未来への出発進行のときを静かに待っているのかもしれません。
機関車の遊具以外には、一人用のブランコ、動かない動物遊具などもあります。
ご近所に一つあると嬉しいサイズの北前第3公園でした。
(2025年11月訪問)









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