西区伊川谷エリアにある天王山北公園は、標高80メートル足らずの丘陵頂部にある古墳群を保存した公園です。「この山が天王山と呼ばれていたのか?」と思いましたが、古墳に関する調査報告書を読むと、ここは字小畑山と北横尾の境界にあたるそうです。
上写真は山の南側から見ているのですが、公園としての出入口は北側にしか無いので、グルっと回り込んでみます。すると、北側には思いがけず平坦な遊び場がありました。
山裾の遊び場部分は、大きくは上下2段に切り分けられており、上段には滑り台&砂場、下段にはブランコや鉄棒があり、それぞれの遊具の周りに、広場と呼ぶほどでもない平坦地が取られています。
滑り台は、神戸市ではよく見かけるデッキを支える柱がないタイプ。でも、最近は徐々に入れ替えられている古いタイプです。
こちらが下段。上段よりは平坦地が広いので、多少のボール遊びくらいならできそうです。
ブランコは4連。4色に塗り分けられた座板が遊び心を誘います。
さて、遊び場上段に戻って、花壇の横から古墳の方へと登ります。
折れ曲がった階段や斜面の様子を見ると、頂部の古墳を保存しつつ、公園として斜面を安定させて安全に保つために、けっこう大きな工事がされている様子が分かります。
登ってみると、特別にわかりやすい復元展示ではなく、開発前の現状を保存した上で、保存部分を一周できる園路を付ける形で整備されていました。
現地の解説板によれば、北側から円墳が3つ(1号墳、1-2号墳、2号墳)、一番大きな帆立貝式の3号墳、方墳の4号墳の5つが尾根上に並んでいるとのことですが、それぞれがちょっとずつ崩れて繋がっているので、素人目には判別がつきません。
その場では、解説板に照らしながら「これが1号墳、こっちが3号墳かな?」などと見当をつけて撮影したのですが、帰ってから写真を見ると、さっぱりわからなくなっています。
小さな石板くらいで構わないので、何号墳かの目印を付けてくれれば有り難いと思いました。
ただ、外向けの見晴らしはとても良く、古墳のことは抜きにして登ってくるだけで気持ちの良い場所です。東方には永井谷を挟んで続く丘陵の景色。
南側にある展望休憩所からは、明石海峡方面を眺めることができます。
休憩所前の木立の間から。手前には山陽新幹線の高架、中央に明石天文科学館の塔、その向こうには明石海峡越しに淡路島を望みます。
どちらにも眺めの良い場所で、逆に言えば下の平野部からもよく見えるということなので、古墳を築くにはよくできた場所です。
古墳のことを学びながら、360度の眺めが楽しめる天王山北公園でした。
■現地の解説板より「天王山古墳群」
明石川の支流である伊川中流域を眼下に望む標高80m前後の丘陵上に築造された古墳群で、円墳3基、帆立貝式古墳1基、方墳3基で構成されていましたが、事業者の協力により現在はそのうちの4基が保存されています。1号墳と1-2号墳は、直径10m、2号墳は直径14.5mの円墳です。3号墳は直径20mの円丘部の西側に、長さ5mの造出部を付けた帆立貝式古墳です。これらの古墳は、埋葬施設の調査を実施せずに保存されています。いずれも6世紀(古墳時代後期)のもので、円筒埴輪などが出土しています。発掘調査された4号墳は、東西16m、南北19mの方墳で、埋葬施設には、2基の割竹形木棺が納められていました。この古墳からは、手焙形(てあぶりがた)土器、ガラス小玉、八禽鏡(はちきんきょう)、鉄刀などが出土しました。出土土器から古墳出現期の3世紀前半に造られたことがわかります。5号墳は一辺20mの方墳で、古墳時代前期初頭の3世紀中頃に造られたものです。鉄剣やガラス小玉などが出土しています。この古墳は、発掘調査終了後、天王山東公園に移設されています。6号墳は一辺8mの方墳で、6世紀(古墳時代後期)のものです。古墳時代初めの頃は、明石川流域では前方後円墳は造られず、弥生時代からの系譜を引く「方形」の古墳が造られており、4・5号墳は、当時明石川流域を統治していた豪族の墓と考えられます。(平成24年3月 神戸市教育委員会)
(2025年10月訪問)

















0 件のコメント:
コメントを投稿