豊見城市翁長(おなが)は、那覇と糸満のちょうど中間あたりで、海辺の旧国道からは500メートルほど内陸に入ったところが集落の中心地です。
そこにある翁長の馬場は、都市公園ではないのですが、広場や観覧席があったり、ジョン万次郎の記念碑があったりする公園的な公共空間であり、また本ブログでは沖縄の伝統的な馬場・ンマイーが公園になっている例を集めていることもあって、訪問の記録をまとめておきます。
じつは以前に訪ねたNo.3112 保栄茂馬場公園の隣村なのですが、その時はなぜか見落としていて、改めて訪問した次第です。
■豊見城市役所HP 字翁長まちあるきより「ンマイー」
字翁長の馬場では、毎年旧暦8月15日には「豊年祭」が行われ、空手やエイサー、綱引きなどが披露され、最後には旗頭ガーエーが行われるなど地域の憩いの場として利用されています。
現状としては「公民館横の草敷きの大きな広場」ですが、公園と名乗っているNo.3112と比べて、開放性や施設内容などがとくに劣るものでもありません。沖縄の馬場に必要な直線距離については、こちらの方が長いくらいです。
「公民館横」と書きましたが、実際は何というか施設かわからない拠点建物があり、その前に休憩所、そして沖縄の広場では重要な階段状のスタンド席があります。
そして、その前から東西方向にビヨーンと100メートル以上の直線です。
たびたび書いていますが、沖縄の古式競馬・ンマハラシーは、直線を走りながら、速さではなく走りの美しさを競うものなので、馬場としてはこの長さが重要なのです。
ンマハラシー以外に使おうと思うと長すぎるほどですが、グラウンドゴルフや、子供のサッカー練習くらいなら、程よいサイズかも知れません。
拠点建物からの直線が長いので、トイレや休憩所は別にもう一つ建てられています。
ただ、公園的な施設は、これくらいです。
井戸跡、拝所のようなものもあるのですが、見ただけでは、これが何なのかは分かりません。丸いほうが井戸で、それを拝むための場所が設定されているのではないかと思うのですが。
家に帰ってから豊見城市のHPで調べてみると、「カームシガー」と言うそうです。
少し戻って、拠点建物の前。ここにはジョン万次郎の記念碑があります。
土佐沖で漁の最中に流され、アメリカの捕鯨船に救われてハワイ、マサチューセッツと移り住んだジョン万次郎ですが、望郷の念断ちがたく、日本への帰国を決意します。
アメリカで働いたお金で上陸用の小舟を購入し、日本近海まで送ってもらえる船の算段もつきましたが、鎖国中の日本にいきなり帰ることは危険だと判断して、まずは琉球へと上陸。この時に、那覇へと送られる前に、翁長の高安家に滞在してそうです。
■現地の解説板より「ジョン万次郎と翁長高安家」
ジョン万次郎(中浜万次郎)は1827年、土佐藩中ノ浜村(現在の高知県土佐清水市)に貧しい漁師の子として生まれた。1841年、14歳のとき出漁中に遭難。仲間とともに無人島に漂着後、アメリカの捕鯨船に救助され米国マサチューセッツ州フェアへブンに渡った。渡米後の万次郎は、救助したホイットフィールド船長にその才覚を見出され英語を始め航海術や造船、測量技術などを学び、捕鯨船の航海士や副船長として世界の海を駆け巡るなど異郷の地で約10年過ごしたが、望郷の念にかられ遂に帰国を決意した。しかし、遭難が原因であったとはいえ、鎖国下の日本への帰国は命がけの決断であった。1851年旧暦1月、万次郎らは琉球国摩文仁間切小渡海岸(現在の糸満市大度)に上陸。取り調べのため最初、那覇に向け護送されるが、那覇に居留していた外国人を避けるため、手前で引き返し豊見城間切翁長村(現在の豊見城市字翁長)の高安家に留め置かれることとなった。翁長村滞在中は、監視は付いたが集落内を出歩くことは自由で、ゆるやかな軟禁状態だったようである。社交性に富み好奇心旺盛な万次郎は、高安家から度々外出しては集落の人々と交流し、六月ウマチーには、ンマイー(馬場)で綱引きにも参加している。また、言語能力に長けた万次郎は、地元の人々とのこうした交流を通じ半年間の滞在で沖縄方言も理解したという。薩摩に送られるため琉球を離れるとき、世話になった高安家の娘らに万次郎は方言で別れを告げたというエピソードも残されている。その後の万次郎は、咸臨丸で太平洋を横断し、日米修好条約調印使節団の通訳官として勝海舟や福沢諭吉とともに訪米するなど、幕末から明治にかけ開国に向かう動乱の時代に、米国での経験から得た貴重な知識や技術、西洋事情や文化を伝えるなど日米の橋渡し役として多方面で活躍した。琉球滞在中に万次郎を温かくもてなした高安家と中浜万次郎家とはその後も代々交流が続き、1995年(平成7)2月には、ジョン万次郎がとりもつ縁で豊見城市と万次郎の出身地・土佐清水市との間で姉妹都市盟約が締結された。(豊見城市教育委員会 平成26年1月)
ジョン万次郎が取り持つ縁を大切にする団体なのでしょうか、「沖縄ジョン万次郎会」なるものが組織されており、「とみぐすく万次郎音頭」も作られています。
それから、馬場から道を渡ったところには、「魔除けの石」なるものも残っています。
豊見城市のHPに紹介されているのですが、もともとは力石だったのに、役目を終えて魔除石に転向したのだとか。その融通のきかせ方が、南国らしいおおらかさと言うべきか。
■豊見城市役所HP 字翁長まちあるきより「魔除けの石」
地元長老の話によると、昔はこの石を持ち上げるなど運動のために使われていたそうです。その後、運動にちょうどよい別の石が出てきたため、この石は魔除けとして使われるようになりました。
訪ねてみれば、見るべきものも多い翁長の馬場でした。
(2025年6月訪問)












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