尼崎市今福(いまふく)の今福公園は、戦災復興の事業でつくられた公園で、市街地にしては広めの1.4ヘクタールありますが、北側に製紙会社の大きな工場があって、これの外壁に沿うように東西に細長い形状をしているので、そこまで広くも感じられません。
園名板は道標を兼ねています。寺江亭(じこうてい)跡、東洋紡神崎工場跡、浄光寺の3方向。
寺江亭跡は公園を通り抜けた先にあるので大体あっていますが、あとの2つは途中に曲がり角も多いので、この矢印の方向だけを信じて歩いていってもたどり着きません。
さて、そこから入って園内。園内では西端にあたり、ここだけが少し広くなっています。
まず目に飛び込んでくるのはサクラの広場で、薄く盛土がされたところに、サクラ、ナンキンハゼ、クスノキなどが植えられています。
そこを通り抜けると土敷きの広場。
もともとはサクラが植えられているところも一体で、今の倍くらいの広さがあったものが、草野球に対するご近所からの苦情が多く出たために、土敷き広場を縮小するために半分くらいをサクラの広場に作り変えたそうです。
この広場に入ってくる出入口には、尼崎市ではおなじみの双童子像が置かれています。
大通りからは離れ、少し木陰になっているので雨風を避けられているものか、各地の兄弟と比べると、傷みが少ないように思います。
そして、土敷き広場の一角には、青年の像。とくに作品名などは記されていないのですが、横の西洋風の飾り柱と合わせて、この公園のシンボル的なものとして置かれたのでは、と思います。
また、台座がなんとなく標柱のようにも見えるので、もしかするといま通ってきた広場部分が拡張整備される以前は、ここからが公園区域で、双童子像と同じように公園入口の門番役だったのかも知れません。
膝を直角に曲げてかがんだポーズは、とにかく明るい安村の「履いてますよ」のワンシーンにも見えますが、こちらの場合は、実際は履いていません。
ここからしばらく遊具広場。やや古めの遊具が多いですが、点数・種類とも豊富です。
目立っているのは飛行機ジャングルジム。小型のセスナ機のようです。
プロペラは一本の横バーで表現されており、ここにぶら下がることもできます。
操縦席は縦3列。1席ずつ色が塗り分けられているところが丁寧です。
翼は雲梯ですが、中央部に支えになるパーツも入っており、安定してぶら下がることができます。
その隣、ラダートンネルと、大きなM字型のラダー遊具は、尼崎市の公園ではおなじみの遊具です。
さらにその奥には、木製の複合遊具。少し幅広の滑り台に、タイヤブランコやグラグラ揺れる吊橋などが複合しています。
タイヤブランコも、最近は減少気味の遊具ですが、ここでは小さく軽めのタイヤのものが現役で稼働していました。
さらに遊具は続き、もう1回滑り台が出た後に、
4連ブランコや砂場など、ご近所の公園でも見かけるタイプのものが並びます。
砂場の横の大きなパーゴラまで来ました。
遊具広場はここで終わりなのですが、周囲には団地が多く人口密度も高めのエリアで、この公園が子どもたちの遊び場としてフル回転していた時代の賑わいが感じられる充実度でした。
そのまま、もう100メートルほど歩くと、東端の出入口があって公園区域は終了。その先には、神崎川の堤防護岸が見えています。
ここから堤防沿いに50メートルほど下ったところに、冒頭に登場した藤原邦綱の別邸「寺江亭阯伝説地」の石碑が建っているのですが、この日は目の前に車が停められていて写真が撮れなかったので、省略。
細長い園内を歩くのも楽しい今福公園でした。
(2024年10月訪問)
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